じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 1月12日のモーサテで『フィナンシャル・タイムズ 2024年の予測・経済編』を紹介していた。5つの問いに対して○か×かで予測するというものであったが、個人的に気がかりなのは「X(旧ツイッター)は経営破綻するか」という問いにYESと答えていた点である。旧ツイッターは14年前から始めており、私にとってはそれなりの情報源になっている。かといってお金を払ってまで継続するつもりはないが。



2024年1月13日(土)




【小さな話題】あなたの知らない京都旅「都のナンバーワン巡り」(2)信長の定宿、木彫立像、木魚、鐘、三門

 昨日に続いて、昨年12月21日にBS朝日で放送された、

●あなたの知らない京都旅〜1200年の物語〜「都のナンバーワン巡り 2時間SP」

という番組のメモと感想。

 『国宝の古い建物』に続いて、織田信長の定宿Top3が紹介された。それによれば、
  • 3位:相国寺、知恩院、東福寺
  • 2位:本能寺
  • 1位:妙覺寺
 放送によれば、本能寺に宿泊したのは僅か3回で、3回目に本能寺の変が起きた。一番多かったのは18回宿泊した「妙覺寺」。但し、本能寺も妙覚寺も信長が定宿にしていた時と現在では場所が異なっていた。
 妙覺寺は斎藤道三と深い繋がりがあり、また道三の娘が織田信長の正室・濃姫であったことから定宿になっていたらしい。本能寺の変が起きた際、信長が定宿の妙覺寺ではなく本能寺に宿泊したのは、信長の息子の織田信忠が先に妙覺寺に詰めていたためらしい。
 秀吉が定宿にしたのは、妙覺寺の近くにある妙顕寺であった。なお、秀吉は御土居とともに、町の中の寺院を強制移転させ、寺町で鴨川右岸、『寺之内』で北の守りを固めた。妙覺寺や妙顕寺はいずれも寺之内に移転した。

 余談だが、私は学生・院生時代には烏丸鞍馬口の近くに下宿しており、鞍馬口通りの近辺は外食、サウナつき銭湯巡り、買い出し、家庭教師のアルバイトなどのために頻繁に行き来していたが、ほんの数百メートル以内の圏内にある現在の妙覺寺、妙顕寺は一度も訪れたことがなかった。やはりその場で生活するということになると、生活に必要なお店や銭湯などに注意が向いてしまい、反面、神社仏閣などには訪れる余裕がなくなってしまうものである。




 続いて紹介されたのは、大きさナンバーワン3件であった。私自身はいずれも拝観したことが無かった。
  • 最も大きな木造の仏像;泉涌寺・戒光寺の「丈六釈迦如来立像」。鎌倉時代。木彫の立像としては世界一の大きさ。釈迦の身長として伝えられている一丈六尺(約4.8m)の等身大になる。
  • 最も大きな木魚:御室・轉法輪寺。縦横約1.2m、高さ1m、重さ約200kg。木魚には、目を閉じない魚のように寝る間を惜しんで修行に励むように、という修行僧への戒めの意味が込められている。なお本尊の阿弥陀如来坐像(御室大仏)は日本で一番多く衣を纏った仏像と言われている。衣が多いのは冬に造られた時、仏師が寒さに配慮したためらしい。
  • 最も大きな鐘:方広寺。高さ4.2m・重さ約82.7t・厚さ約27cm。豊臣秀頼により1614年に鋳造。徳川家康が鐘に刻まれた文言に因縁を付けたことから大坂冬の陣が勃発し、豊臣家は滅亡。



 次に紹介されたのは、寺に建つ高い門Top3であった。
  • 3位: 南禅寺。三門の高さ約22m。歌舞伎で石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と大見得を切った場所として知られている。
  • 2位: 知恩院。三門の高さは約24mで、横幅は約50m。国宝。徳川秀忠によって建立。
  • 1位: 東本願寺。御影堂門の高さは約27m。門の中には釈迦三尊像が祀られている。
 これらの門はいずれも拝観したことがある。三門の内部まで拝観したのは妙心寺の三門の特別公開だけだったと思う。かなり高いように見えたが、高さは約16m。

 次回に続く。