じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



01月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

クリックで全体表示。




 1月8日の朝はよく晴れて前日に続いて、南東の空の月と金星と水星を眺めることができた。デジカメの露光の関係で月の輪郭ははっきり撮れていないが、この日は水星をちゃんと写すことができた。
 なお、金星の右下にかすかに写っているのはアンタレス。月はアンタレスに大接近したあと、水星の右側を移動する。



2024年1月8日(月)




【連載】チコちゃんに叱られる! 「墨」「給食とミルク」

 昨日に続いて、1月5日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、以下の4つの話題のうち残りの3.と4.について考察する。
  1. マラソンはなぜ42.195km?
  2. 表彰式が「あの曲」になったのはなぜ?
  3. 習字に使う「墨」ってなに?
  4. 給食で牛乳を飲むのはなぜ?

 まず、3.の『墨』について、放送では「すすをにかわで固めたもの」が正解であると説明された。
  1. 固形墨はすべて『すす』と『にかわ』で作られている。すすはロウソクを灯したときにでる。にかわは牛や鹿などの皮を煮て出てくるコラーゲンのこと。
  2. にかわは、すすを水に分散させる働きをする。すすは油の成分を含んでいるので、すすだけを水に入れても分離してしまう。にかわはすすの細かい粒をコーティングし水全体に広がっていく。
  3. 日本で作られる墨には、松から作られる『松煙墨』と、植物油から作られる『油煙墨』の2種類がある。
  4. 松煙墨を伝統的な製法で作っているのは墨職人の堀池雅夫さん1人だけ。赤松を細かく割り2m四方の部屋で2週間燃やしてすすを集める。にかわと香料を練り合わせて木型にはめて5〜6年かけて乾燥させてできあがる。5kgぐらいの赤松を使って作られた松煙墨は一丁2万5000円。清の時代に作られたものは40〜50万円。
  5. 油煙墨は植物油を2時間燃やしこちらも5〜6年乾燥させる。
  6. 松煙墨は青く見えるので青墨とも呼ばれる。油煙墨は黒みが強く淡くすると茶色に見える。雪舟や横山大観はこうした濃淡の違いを活かして絵を描いた。
  7. 墨は顔料と呼ばれ劣化しにくいので書いたものがそのままの状態で残り水にも強い。ボールペンの色素は染料であり紙と共に劣化しやすいが、墨であれば紙の劣化の影響を受けにくい。
 放送ではさらに書き初めについても説明された。書き初めの起源は年始や元号が変わったときに書く「吉書」。言霊信仰で良い年になるよう思いが込められている。

 私が子どもの頃はまだ身近に炭があったことと、「すみ」という同じ発音であったことから、墨の原料は炭の粉であろうと思ったことがあった。上掲の説明から言えば、じっさい炭の粉とにかわを混ぜても墨ができるようにも思われる。その後、高級な墨は『すす』から作られるが、学校で使われる墨の原料は別であると聞いたことがあった。また、固形墨よりも墨汁が使われるようになった。小学校低学年の頃は、標語や掲示は墨で書かれていたと記憶しているが、その後マジックインキに置き換わっていった。
 墨汁の原料も固形墨と同じようなものだと思われるが、書道教室などでは万が一墨汁を机や床にこぼしても汚れが残らないよう、特製の墨汁が使われていると聞いたことがある。




 次の4.の「給食で牛乳を飲むのはなぜ?」であるが、正解は「アメリカ大統領だったフーバーが心配になっちゃったから」であると説明された。もっとも、放送の中で取り上げられていたのは、戦後の学校給食導入、および脱脂粉乳提供の経緯であった。ウィキペディアによれば、脱脂粉乳から牛乳に移行されたのは1960年代から1970年代前半であったというが、私が小学校時代は一貫して脱脂粉乳とコッペパンが提供されていた【但し、水不足により一時期は弁当持参に切り替えられた】。
 放送では、アメリカ元大統領のハーバート・フーバーやGHQのクロフォード・F・サムスの貢献が美談として紹介されており、もちろんそのこと自体は感謝すべきことだとは思うが、おそらくその背景には、
  • 民主主義を維持したままで日本の共産化を防ぐには、国民の不満を抑えるために一定の援助が必要。
  • アメリカで余っていた脱脂粉乳の活用
  • 日本にパン食を根付かせてアメリカからの小麦の輸入を増やす
といった政治的な意図が含まれていたと思われる。
 放送ではこのほか、フーバーが後継の大統領選挙候補としてマッカーサーを推すために日本の復興を成功させる必要があったというような話も出ていたが、じっさいはマッカーサーは支持が集まらずに1952年の選挙には出馬しなかったという。なおフーバー(フーヴァー)については、ウィキペディアでは、大恐慌のときに有効な手を打てなかったので、大統領としての評価は低いが、大統領を辞めた後や第二次世界大戦後には、今回の日本復興策を含めていろいろな功績を残しているようである。