じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 ウォーキングコース沿いにあった近隣の町内会の掲示板に『餅つき会中止連絡』という掲示があるのが目にとまった。中止の理由は、

●コロナ・インフルエンザが共に流行しており、屋外に長時間食材を並べた状態になると感染リスクが高い。

というものであったが、コロナ5類移行後の緩和ムードのなかで感染防止を理由に恒例行事を中止するというのは珍しいように思う。この理由であると来年以降も開催される可能性は低そうだ。

 もっとも、上掲の理由は表向きであり、実際は餅つき会を開くためのボランティアが集まらないためであるかもしれない。最近では町内会の総会を開いても、半ば強制的に選ばれた役回りのメンバー以外は誰も参加しないことがあると聞く。また、町内会に入らない人もいる。実際のところ、私の住んでいる地区では、日常生活で町内会が機能しているのは
  • 資源ゴミ回収当日の当番を決める
  • 夏休みに一週間程度のラジオ体操を行う
  • 地域の一斉清掃活動
  • 赤い羽根募金のお金を集める
程度であり、それ以外の行事、例えばバス旅行などは参加者不足からコロナ前にすでに廃止されている。農村部などと違って都会では地域で共同作業を行う必要性が少なく、町内会活動を活性化することは個々人の自由時間を拘束すると受け止められているようにも思う。このほか、町内会が地域内の神社を会場として行う秋祭りについても宗旨の違いを理由に協力・参加を拒む人もおられるようだ。



2023年11月16日(木)




【連載】笑わない数学(6)『1+1=2』(6)ヒルベルト・プログラム、ZFC、ゲーデル

 昨日に続いて、10月18日にNHK総合で初回放送された、『笑わない数学 シーズン2』:

1+1=2

についてのメモと感想。今回で最終回。

 だいぶ脇道に逸れてしまったので、このあたりで放送内容に戻る。放送では、「1+1=2」の証明が紹介されたあと、尾形さんが番組スタッフと共同で「2+3=5」の証明に取り組むシーンが紹介された。
 続いてこうした極めて基本的な計算がなぜ公理に基づいて厳密に証明されなければならなかったのか?という背景が解説された。放送によれば、こうした研究は、19世紀の後半、非ユークリッド幾何学の発見によって数学の基礎への疑念が高まったことを背景としている。こうした基礎からの構築に貢献したのが、ドイツの数学者、ダフィット・ヒルベルト(1862-1943)であった。ヒルベルトは数学のあらゆる分野で卓越した業績を残し、「現代数学の父」とも呼ばれている。ヒルベルトは、
私が数学の新しい基礎について研究する目的はただ一つ、数学的推論の信頼性に対する漠然として疑念をすべて振り払うことです。
と述べている。あらゆる難問を解決できる一切矛盾がない学問体系、つまり完全で無矛盾な数学を構築しようという大計画『ヒルベルト・プログラム』であった。

 しかしこの計画はいきなり困難に直面する。イギリスの数学者・哲学者であり晩年にはノーベル文学賞を受賞した万能の天才、バートランド・ラッセル(1872-1970)は1902年、ゴットロープ・フレーゲへの手紙の中で、数学の基礎固めは十分に注意しないと決定的な矛盾が紛れ込む恐れがあると指摘した。
 放送では一般向けに分かりやすいよう数学用語を使わない以下のような例え話が紹介された。
ある村の散髪屋が以下のような貼り紙を掲げた。
「自分でヒゲをそらない村の男性全員のヒゲは必ず店主がおそりします。自分でヒゲをそる男性のヒゲは店主はそりません。」【但し、村人は定期的にヒゲをそるものとする。】
この貼り紙は、「散髪屋の店主自身のヒゲは誰がそるのか?」という矛盾を含んでいる。数学の世界でも、これと同じような破局が生じる可能性がある。

 しかしその後、エルンスト・ツェルメロ(1871-1953)やアドルフ・フレンケル(1891-1965)によって1922年にZFC公理系が構築され、さまざまな問題を回避できるようになったと思われた。ところが、クルト・ゲーデル(1906-1978)は、25歳の時に発表した研究論文で、
“初等的な自然数論”を含むω無矛盾な公理的理論は不完全である(第一不完全性定理)
ということが論じられた。これは「どんなに基礎を固めたとしても、決して証明できない難問が必ず存在する」ということを意味している。すなわち、
  • ヒルベルトが目ざした「高さに制限の無い完全無欠な構築物として数学を完成させる」ことはそもそも不可能であった。
  • 数学者には真偽が証明できないものがある。それまでの数学の常識が覆され、我々の能力を超えるものがあると分かった【アントニオ・モンタルバン博士】

 では数学は使い物にならないのか?ということになるが、放送の終わりでは、尾形さんは、以下のような例え話により、数学を擁護した。【一部省略、改変あり】
数学が私たちの生活や考え方を豊かにしてくれる道具だということには変わりはない。ある数学者は次のような例え話を語った。「もしあなたが一生のうちに世界中のすべての観光地には行くことは不可能だということを知ったらあなたはガッカリするでしょうか? すべての観光地に行けなくても1つ1つの観光地の素晴らしさに胸を打たれることには変わらないでしょう。」 これまで数学者たちが証明してきたたくさんの定理や、今後証明するビックリするような理論の価値は全く変わらない。


 ここからは私の感想・考察になるが、ラッセルのパラドックスや、公理的集合論、ゲーデルの不完全性定理については、ある程度は聞いたことがあったが、あくまで隠居老人的な茶飲み話の域を出ていない。あと、矛盾ということに関しては、abc予想の証明のところで、
望月の理論で奇妙なのは、まず全く同じものだと言いながら、次にそれらを完全に異なるものとして扱う点です。数学では、同じと見なせるものは同じとするのが原理原則です。私はためしに、同じでありながら同時に異なるものなんてあり得るのか真剣に考えてみましたよ。いやいやそんなこと絶対無理ですよね。 【デイビッド・ロバーツ博士】
という発言が同じことを言っているのか、それとも望月理論自体は無矛盾な体系なのかがよく分からなかった。

 それはそれとして、尾形さんが引用した観光地の例え話は、大いに参考になる。そもそも私たちの人生は有限であり、あらゆる価値に触れることはできない。しかしだからといって人生は空しいということにはならない。限られた空間、時間の中でどれだけの価値に触れられるかだけを考えればよく、それが概ね自己満足であったとしても別段悔いる必要はあるまい。