じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



09月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る



クリックで全体表示。

 ウォーキングから戻る途中、腕時計を拾った。さっそくその足で近隣の交番まで届けに行った。
 この付近の路上は、何人かのボランティアの方が日々清掃活動をしておられることもあって、それらの人たちの目にとまらないような落とし物を私が真っ先に見つけるということはこれまで一度も無かった。交番の中に入るということも何十年ぶりではなかったかと思う【←前回は、あおり運転をされたことの報告】
 担当のお巡りさんによれば、落とし物を拾うと3つの権利が発生するとのこと。
  1. 費用【交番に届けるためにかかった交通費など】を受け取る権利
  2. 報労金を受け取る権利
  3. 持ち主が現れなかった場合の所有権

このうち1.は徒歩なので費用無し。2.の権利は放棄した。3.については12月15日までに持ち主が現れなかった場合、西警察署に行けばこの時計を所有することができるということであった。
 腕時計というと、私の世代では貴重品というイメージが強いが、ネットで検索したところ、写真と同等品と思われる機種は1500円〜2000円で販売されており、それほど高価ではないことが分かった。
 ちなみに私が使っている腕時計はソーラー発電&電波時計の機能があるが、今回の拾得物はどちらもついていないようである。もっとも、ソーラー発電の腕時計であったとすると、遺失物管理所の真っ暗な引き出しなどで保管しているうちに電池切れとなり、極端に低下すると再充電ができなくなることもある。拾得した時計は10年バッテリーで動いているようなので、電池切れの心配は無さそう。

 ということで、持ち主の方は近隣の北方交番もしくは西警察署に連絡をとっていただきたい。



2023年9月16日(土)




【連載】チコちゃんに叱られる! 「泡で汚れた落ちる理由」「“私はワクワクしている”と叫びながら変な踊りを踊れば不安は解消されるか?」

 9月15日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。今回は以下の4つの話題が取り上げられた。本日はこのうちの1.と2.について考察する。
  1. 泡で汚れが落ちるのはなぜ?
  2. 不安ってなに?
  3. 電気自動車は本当にエコ?
  4. 湯のみはきれいなのにお茶にホコリのようなものが浮くのはなぜ?

 まず1.の泡の話題であるが、放送では「泡がぎゅうぎゅうなところから逃げたいから。」が正解であると説明された。放送では子ども向けに擬人化された表現で説明されていたが、要するに、泡は当初はぎゅうぎゅうに詰まったいびつな形をしており、汚れた液体に接するとその液体を吸収しながら丸い形に変わろうとする。これによって汚れが泡の隙間に入り込むため汚れが落ちるというような話であった。なおその際、小さい泡のほうが隙間の数が多いため、より効果的に汚れを吸収できるということであった。

 ここからは私の感想・考察になるが、今回説明された内容は、衣服からしみ出した汚れの液体がなぜ洗い落とせるのかということに関連した説明であって、なぜ衣服そのものから汚れ成分が分離するのかについては言及されていなかったように思われた。
 念のためウィキペディアを参照したところ、

【石鹸とは】界面活性剤であり、油や油を含む汚れを水に分散させる作用により洗浄能力を発揮する。

と説明されており、いくら泡だらけにしても、界面活性剤の働きが無ければ、汚れを落とすことはできないように思われた。なお、は、洗剤として利用されるほか、消化器、発泡スチロール、鮮度保全などで利用されている。また逆に泡を抑制する技術もあるという。




 次の2.の「不安ってなに?」については、TVの番組表を見た時から、どんな解説者が登場されるのかに興味を持っていた。まっとうな心理学の研究者が登場するのか、それとも「進化生物学」や「脳科学」を標榜する胡散臭い説明になるのだろうか?
 でもってじっさいに登場されたのは、心理学や脳科学に詳しい堀田秀吾さん(明治大学)であった。明治大学の教授と聞くと、いぜんチコちゃんの番組で といった、私にとっては全く受け入れがたいトンデモ進化心理学と関係がありそうな印象を抱いており身構えてしまったが、今回登場されたのは、全くの別人であり、過去日記を検索した限りでは、2010年11月11日の日記で裁判員裁判に関する御著書に言及させていただいたことがあったようである。なおウィキペディアでは、
堀田 秀吾(ほった しゅうご、1968年6月15日 - )は、日本の言語学者(法言語学、心理言語学、コミュニケーション論、理論言語学)。明治大学教授。
国内外で、商標や裁判員裁判などの司法における言語使用・コミュニケーションを中心に、理論言語学、コーパス言語学、語用論、心理言語学などの言語学の諸分野および社会心理学、脳科学などの様々な学術分野の知見を融合し、多角的な研究を展開している。また、ビジネス・自己啓発書の執筆など研究以外の活動も積極的に行っており、芸能事務所の顧問なども務める。著書は国内外で50冊を超える。
と紹介されていた。

 さて、その堀田秀吾さんは、不安とは「人類誕生から備わっている生き抜くための武器」であると説明された。人類は大昔から不安を感じ、不安に対して準備し対処することで有利に生き残ってきた。今は石器時代ではないが、私たちの心や体はとの時からあまり変わっていない。狩りをやめたのはほんの1万年前であり、石器時代のころの本能が残っている。
 不安は現在でもピンチの際に行動を起こす準備に役立っている。そのおかげで集中力が高まり危険に対する準備ができる。不安とうまく付き合うことで武器になる、と説明された。

 上掲の「不安観」はACTの入門書[]でも言及されている。
ハリス著 岩下慶一訳(2015).『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない―マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門』筑摩書房
  • 原始人の心を占める最優先事項は、自分を傷つけそうなものに気を配り、危険を避けることだった。原始の心は「殺されない」ための装置だったのだ。
  • 今日、心が私たちに警告を発する原因はサーベルタイガーでも毛深いマンモスでもない。それは失業すること、拒否されること、スピード違反で捕まること、公衆の面前で恥をかくこと、癌になること、その他無数の一般的な恐怖だ。結果として、私たちは多くの時間を、ほとんどが実際には起らない出来事を心配することに費やす。
  • 原始人が生存するためのもう一つの必須事項は、集団への所属だ。所属する部族から追い出されたら、狼に食われるまでそう長くはかからない。集団から拒否されないために、心ができることは何だろう?部族の中の他のメンバーと自分を較べることだ。自分は十分に貢献しているだろうか?他のメンバーと同等だろうか?拒否されるような行動をしていないだろうか?
  • さらに悪いことに、私たちの高度に洗練された心は自分がなりたい理想像を作り上げ、それと現実の自分自身を比較する。どう考えても勝ち目はない。結果、いつも自分に不足感を持つことになる。
  • 進化がかくのごとく私たちの脳を形成したおかげで、私たちは生まれつき、比較し、他者を批判し、自分に足りないものに注意を向け、在るものだけでは満足せず、そのほとんどが実際には起こらない恐怖の、シナリオを想像してしまうようになった。人々が幸福になるのは難しいと考えるのも無理はない。

 以上に引用したように「不安」は、言語的に危険を予期しそれに備えるという点で適応的価値があると言える。このことから、我々は、幸福についての4つの神話:
  • 幸福はすべての人類にとって自然な状態だ
  • 幸福でないのはあなたに欠陥があるからだ
  • より良い人生を創造するためにネガティブな感情を追い払わなければならない
  • 自分の思考や感情をコントロールできなければいけない。
を捨て去り、新たな発想に変える必要がある。その基本は、「脱フュージョン」にある。
  • 不快な思考を取り除こうともがくのではなく、そのあるがままの姿―単なる言葉の羅列であることに気づき、それと格闘するのを止める。
  • 気分のコントロールに使ってはいけない。
  • 脱フュージョンの目的は思考を取り除くことではなく、それを単なる言葉の羅列として、あるがままに見ることであり、それに抵抗することなくあるがままにしておくこと。
  • 脱フュージョンはコントロール戦略とは正反対のもの、つまりアクセプタンス(受容)の戦略だ。ACTでは、嫌な思考や感情を変えたり避けたり、追い払おうとせずに、それを受け入れることを目ざす。アクセプタンスとは、不快な思考や感情を好きになることではない。ただそれらと格闘するのをやめるだけだ。
 放送では、上掲のような内容には言及されず、代わりに「私はわくわくしている」と声に出したり、元気な動き、ヘンテコな動きをすることで、自分は興奮しているのだと脳を騙すことで不安を有効活用できるというようなけったいな方法が推奨された。これにより、テストステロンという男性ホルモンが出て元気になるとも説明された。
 堀田秀吾さんはもともと言語学や心理言語学がご専門ということなので、あらゆる苦悩の原因がことばにあるという点は十分に理解されてていると拝察される。但し、今回の放送で紹介されたようなやり方で本当に不安が取り除けるのかどうかについては、もう少し臨床的な証拠を重ねてもらいたいところがある【放送では、ハーバード大学での実験が1つ紹介されただけ】。
 なお、この話題の終わりの部分では、さすがに放送内容だけではトンデモ批判が浴びせられる恐れがあると判断されたのか、

●“不安とはなにか”については現在も研究が進められているため諸説あります。

という但し書きのテロップがつけられていた。

 なお、ちょうど昨日、東洋経済に

不安にとらわれず"しなやかに"生きるススメ 「心の言葉は、ときに有害」だからどうする?

という記事が掲載された。放送で推奨された「私はワクワクしている」と叫びながらヘンテコな踊りをおどるよりは、こちらの記事のほうが、体系的な理論に基づき、多くのエビデンスが得られているという点で大いに納得できる。いっそのこと武藤さんがチコちゃんの番組に出ればよかった。

 次回に続く。