じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 岡山市では8月1日から、「健康ポイント」事業の新企画として、

OKAYAMAハレ活プロジェクト

が始まった。今回の新企画では、歩数計測による、
  • アプリで歩数を記録すると1日最大3ポイント
    4,000歩以上:1ポイント
    6,000歩以上:更に1ポイント
    8,000歩以上:更に1ポイント
    ※ アプリを開かないとポイントはつきません
というポイント獲得方法【但し、現時点ではアプリが自動的に歩数を計測していることは無さそう←追記:その後、GoogleFitと連携させて計測することが分かった】のほか、「おでかけマップからポイント付与店を探してハレ活ポイント獲得」という方法があり、ポイント付与施設の中に半田山植物園が含まれており、私の場合、これまでと同様に半田山植物園内をウォーキングすれば、1回につき2ポイント獲得できることになった。
 半田山植物園に入園したことはどこで登録されるのかと疑問に思っていたが、出口付近に登録コーナーが設置されており、そのバーコードをスマホのカメラで読み込めば専用画面に推移し「ポイントを受け取る」操作ができることが分かった。
 1つ疑問なのは、このQRコードをデジカメで撮影しておけば、植物園に行かなくても自宅で読み込みができるのではないかということ。こうした不正を防ぐには、ポイント受け取り時点で位置情報(自宅ではなく植物園出口であるという情報)を照合する必要があると思われるが、じっさいにそうしたチェックが行われているのかどうかは不明。
 もっとも今回の新企画では、貯めたポイントは、例えば1ポイント1円という形でそっくりそのままご褒美になるわけではない。ポイントは、毎月の抽選会に参加できる口数に充当されるため、いくら口数が多くなっても確実にご褒美が受け取れるわけではない。また、特段のポイント獲得ランキングが集計されるわけでもないようだ。
 行動分析学の強化理論から言えば、ポイントの数に比例した報酬が獲得されないような強化スケジュールは強化力が低いように思われるが、ポイント自体が付加的な好子として一人歩きすればそれなりに「励み」にはなるかと思う。もともと、ポイントを増やすことは健康増進にもつながるので、巨視的な観点から言えば、究極的な好子は健康の維持・増進ということになるだろう。



2023年8月5日(土)




【連載】チコちゃんに叱られる!「都会の人が冷たい」理由

 8月4日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。なお、岡山ではこの時間帯には別番組が放送されたため、NHKプラスのほうで視聴した。 この日は、
  1. 「都会の人が冷たい」のはなぜ?
  2. 田んぼに水を張っているのはなぜ?
  3. ICカードをピッとするだけでお金が払えるのはなぜ?
という3つの話題が取り上げられた。本日はこのうちの1.について考察する。

 さて「都会の人が冷たい」というのは、「街中で困った人を見かけても誰も手をさしのべない」とか、「マンションの隣の住人がどういう人なのか知らない」といった経験的事実を述べているものと思われる。
 放送では、その理由は「情報が多すぎるから」と説明された。日常の人の心と行動の仕組みを研究している社会心理学者・渋谷昌三さん(目白大学名誉教授)によれば、田舎の風景は情報がシンプルであるのに対して、都会のほうは道は複雑だし、ビルは建ち並んでいるし、車が多い、広告・看板が多い、さらに人の動きなど、非常にたくさんの情報が入ってくる。このように処理できないくらいたくさんの情報が多い環境は『過剰負荷環境』と呼ばれる。こういう環境のもとでは、入ってくる情報を増やさない行動がとられる。例えば人に道を訊かれた時には「まっすぐ行って右です」というように必要最小限の情報を教えて短時間で終わらせようとする。電車内ではスマホをいじったり寝たふりをするのも余計な情報を入れないための行動。このように都会の人は効率的なコミュニケーションをとろうとするが、この「ムダな関わりを避ける」とか「よけいな情報を入れない」という行動が「そっけない」態度に見られ、冷たいと思われてしまう、と説明された。
 放送では、街角インタビューの中で、同じマンションに住んでいる人とエレベーターで鉢合わせするのを避けたり、引っ越し屋さんが代わりに挨拶をしてくれることなどが語られていた。いっぽう、青森県の田舎の村では、近隣住民どうして農作物をプレゼントしたり、かなり詳しいところまで個人情報を知っていることなどが語られた。
 渋谷昌三さんによれば、人がたくさんいる都会では、『責任回避』と呼ばれる、ある特徴的な行動がとられる。これは人任せにしてしまう行動であり、例えば路上で人が倒れていた場合、田舎ではすぐに声をかけて救急車を呼ぶが、都会では自分が助けなくても誰かが助けるだろうと思われ救助が遅れることがある。放送では大東京・丸の内と、青森県の田舎で、ディレクターが路上に座り込んで「ハーッ」と叫び声を上げる実験が行われたが、丸の内では1時間観察しても誰も声を掛けてくれなかった。いっぽう田舎のほうはそもそも通りかかる人が無く、バイクで通りかかった人がいったん停止したもののそのまま去って行くだけであった。

 ここからは私の感想・考察になるが、渋谷昌三さんが挙げた「都会は情報が多すぎる」というのは確かにその一因であるとは思う。しかしこれ以外にも、例えば田舎の農村では、田植えや稲刈りの際に共同作業が必要になったりすることで、住人たちの日常的な交流が不可欠であることも「田舎の人は温かい」理由になっているように思う。
 では、田舎の人たちは見ず知らずのよそ者に対しても「暖かい」のかどうか。これは地域や国によっても異なるだろう。日本の僻地では、よそ者が入ってきた時は警戒されるだろうが、その正体を知るためにも一定の交流が行われる。また観光地では村ぐるみで旅行者を歓待する。いっぽう、インド洋にある北センチネル島は分類上は都会ではなく田舎であるが、無断で立ち入れば直ちに捕まって殺されてしまう。なので、都会の人が冷たい理由は、『過剰負荷環境』とか『責任回避』だけで説明できるわけではない。また、都会の人と言っても、不特定多数の見知らぬ人たちは「冷たい」が、自分の生活圏で交流している人たちはそんなに冷たいというわけでもない。

 次回に続く。