じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 2カ月半ぶりに某回転寿司屋を訪れたところ、店内が大幅に改装されていて驚く。
  1. カウンターが大幅に縮小され、テーブル席中心になっていた。
  2. コンベアは2階建てだが、1階部分は寿司皿は流れておらず、すべてタブレットによるオーダーとなっていた。
  3. 注文した寿司は2階部分のコンベアから届けられる。各テーブルごとにコンベアが分岐されており、注文したテーブルのところで「引き込み線」に入る仕掛けになっていた【写真参照】。
  4. コンベア側にはお茶の給水口とガリのみで、テーブルの中央に箸や醤油が置かれていた。
 注文した寿司皿が引き込み線に入ることで慌てて取る必要が無くなったのはありがたい。いっぽう、オーダーのみになったことで、実物を見た目で選ぶことができなくなり、また結果的に値段の高い寿司皿を注文してしまう傾向が生じた。


2023年6月21日(水)



【連載】ブラタモリ「大阪」(4)梅田ダンジョン

 昨日に続いてNHK「ブラタモリの話題。引き続き、

●【2023年6月10日初回放送】#237『大阪・梅田〜カオスな梅田はどう生まれた?〜』 を取り上げる。

 放送の後半では梅田地下街がいろいろな方向に複雑に道が延びていて『梅田ダンジョン』と呼ばれていることが体感された。じっさい、前回も述べたように、地下街は地盤沈下の影響で各所に段差が生じていたが、そればかりでなく、道が斜めに分岐し道標なしでは目的地に行くことができそうにもない状況になっていた。
 地下街の道が複雑になった原因は地上の道に対応して造られたことににあった。ではなぜ地上の道が複雑になったのか? 放送によれば、JR大阪駅が造られた当時、堂島川以北から大阪駅に至るエリア一帯は殆ど何も無かったため旧市街から北西方向の大阪駅に向かって斜めに道が接続された。その道からさらにさまざまな方向から道がつなげられ、大阪駅南側は複雑な道筋が形成された。
 梅田地下街は、昭和30年代の交通渋滞解消の一環として造られた。そしてその後に次々と地下鉄が造られ、それらの地下駅を結ぶためさらに複雑化した。地下街は、今年3月に大阪駅新ホーム(関空・和歌山方面)が開業したことでますます複雑になった。

 ということで、放送は「何も無かった梅田に大阪駅が建ってからおよそ150年。いまも発展を続けています。梅田のカオスはその発展の記憶なんですね。」という草g剛さんのナレーションで幕を閉じた。

 ここからは私の感想・考察になるが、前回も述べたように私は学生時代から何度か梅田地下街を通って阪急梅田駅と阪神梅田駅を往復したことがあった。今からおよそ50数年前であることから、大阪駅誕生からの150年のうちの最後の1/3の期間はじっさいにこの目で見てきたことになる。しかし当時から道が分かりにくく、何度か迷ったことがあった。その理由は
  • 道が斜めになっていて東西南北の方向が分からなくなってしまうため。
  • 案内板が複数の方向を指していたり(どっちを進んでも行かれるが)、案内板が見えない場所などがあること。
  • 地下街ではニュメントなどより壁面の広告が目につくが、広告自体は貼り替えられたりして安定した目印になりにくいこと。
などを挙げることができる。

 ま、私にとっては地下街はどこでも分かりにくい。昨年9月にも、南海本線の難波駅から『なんば高速バスターミナル(スイスホテル5F)』に行く道が分からず、地下街で何度も道を尋ねた上でやっとのことで辿り着いたことがあった。
 今年の5月には、帰路に関空から『はるか』に乗車したが、これまでと違って大阪駅で停車し、あれっ? 『はるか』は大阪駅には止まらなかったはずだ、と意外に思ったことがあった。今年3月からそのように変わったようである。もっとも、阪和線の快速電車は従来通り、環状線と同じホームに止まることになっていたはずだ。

 私自身の興味対象から言えば大阪はわざわざ観光で訪れる地ではないが、何かの用事があった時にはそのついでにブラタモリで紹介されたスポットを訪ねてみたいとは思う。もっとも隠居人宣言後は研究会や学会には全く出席していないし、年に一度依頼のある講演も最近はずっとオンラインになっているため、この先の予定は全く無い。