じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 大阪・梅田の綱敷天神社(つなしきてんじんしゃ)の御旅社に咲いていた梅の花。2013年3月撮影。↓の記事参照。


2023年6月20日(火)



【連載】ブラタモリ「大阪」(3)梅田は埋田、地盤沈下の痕跡

 6月16日に続いてNHK「ブラタモリの話題。 のメモと感想。今回からは2023年6月10日に放送された梅田の話題を取り上げる。

 大阪・梅田は、乗り換えの駅として何度も利用している。
 阪神タイガースのファンだったこともあって【←現在はプロ野球観戦界から引退】、阪急・梅田駅と阪神・梅田駅の間は何度も往復したが、当時から地下街は迷路のように入り組んでいて最短経路がどうなっているのかは最後まで分からなかった。また、梅田地下は小さな階段の上り下りが多い。この謎は今回の放送で解決した。
 その後もJR大阪駅は乗り換えのためにしばしば利用しているが、駅の外に出たことは滅多に無い。上掲の綱敷天神社方面【アプローズタワー】と、大阪公立大・梅田サテライトを訪れた程度であり、いずれも研究会や学会関連の用務のためであった。
 なお、今回の放送では特に言及されなかったが、梅田は淀川の南に位置しており、京都方面から神戸方面に進むJR東海道線は、いったん淀川を渡って大阪駅に達し、その後淀川の下流を再び渡って尼崎・神戸方面に向かっている。地図で見てもこの区間はU字形になっていて、京都から神戸方面まで直行したい人にとってはそのぶん運賃が無駄になる。なお、阪急利用の場合は、京都河原町から十三経由、神戸三宮までは75.2kmで640円、JR利用の場合は京都駅から大阪駅経由、三ノ宮駅まで73.4kmで1110円となっている。時間はJRの新快速利用であれば約1時間で阪急より速いが、運賃では阪急利用のほうが遙かに安い。




 さて番組ではまず、梅田の屋上庭園から大阪駅&梅田を見渡した。検索したところ、大阪梅田ツインタワーズ・サウスの屋上庭園であったようだ。
 続いて訪れたのは路地裏の中にある露天神社(つゆのてんじんしゃ)であった。この神社は、曽根崎心中の舞台になった場所としても知られている。心中したということから人通りの少ない街外れの場所であったことが推測される。じっさい江戸時代の地図でも街外れであったことが確認できた。
 続いて紹介されたのは『歯神社であった。歯の痛みを止める「歯止め」は、洪水を止めるという意味につながっており、かつては湿地帯で人が住まない寂しい場所であったことが示唆される。梅田ももとは「埋田」に由来していた。

 梅田が劇的に変わったのは1874年の大阪駅開業であった。大阪駅はもともとはもっと南の堂島付近に計画されていたが、
  • 鉄道が開通すると蒸気機関車の火の粉で火事になる恐れがあること
  • 堂島に駅を作ると、京都方面と神戸方面との分岐で、方向転換のために機関車の付け替えが必要となり時間がかかる。それを避けるためにスムーズなU字形の線路を敷こうとすると、すでにあった町を広範囲に壊す必要があった。
ということで結果的に、人の住まない北側の梅田の地に駅が作られることになったと説明された。

 続いて紹介されたのは大阪駅構内・周辺の高低差であった。私自身も何度も経験したが、構内各所に段差があった。その原因は、地盤沈下であった。その痕跡は駅ホームから眺めることができる。もともと作られたホームの床面は沈下しており、現在のホームは嵩上げして作られていた。
 建設中のビルの地下20mの工事現場を見学したところ、地層は粘土層になっており水分を含んで柔らかくなっていた。地層からは貝の化石も見つけることができた。もともと梅田は海の中にあり、この時にできた地層は『梅田粘土層』と呼ばれている。昭和30年代の高度成長期に、ビルの冷房用や工業用に大量の水が必要となった。水は梅田粘土層の↓にある天満砂れき層からく汲み上げられたため、梅田粘土層の水分が減り沈下が進んだ。さらに大阪駅では駅舎や電車の重みが加わりさらに沈下した。この沈下は地下水の取水規制により昭和40年代には収まったという。現在、梅田粘土層の上にビルなどを建てるためには、天満砂れき層まで杭を打つ必要がある。また粘土にセメントを入れたり鉄骨を入れたりして粘土層が横に崩れるのを防いでいる。

 以上までのところで面白いと思ったのは、地盤沈下の痕跡である。これまでJR大阪駅のホームには何度も立ったことがあるが、そのような嵩上げがあったとは気づかなかった。

 次回に続く。