じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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1月11日の日の入り【写真1番上】と1月12日の日の出【写真2番目〜4番目】。
 日の入りの方位は日々北側(右側)に移動しており、旧・京山タワーから離れたところに沈むようになった。
 1月12日の日の出は、霞がかかっていて太陽の丸い輪郭が見えていた。写真右端の黒いシルエットは、世界三大黄金像の1つ【←長谷川が勝手に選定】、大黒天像。

2023年1月12日(木)



【小さな話題】年末年始の総括

 2002〜2023年の年末年始は例年通り12月30日から1月8日まで、妻の実家のある北九州に帰省した。自家用車で移動したものの、持ち物は衣類とノートパソコン、種々の放送番組を事前に録画しておいたブルーレイディスク程度であり、岡山で暮らしている時と比べると制約が大きかった。いずれ私自身が高齢者施設に入居するようになったら同じような制約を受ける可能性があり、物忘れが深刻化した義母の様子と重ね合わせる中で、老後の生きがいを考えさせられた毎日となった。

 まず、基本生活として、この期間は毎日5時から5時半の間に自然に目が覚めて、6時頃から朝食をとるという規則的な生活を維持することができた。朝食はサツマイモと「シリアル+豆乳」、自家製ヨーグルト、ミニトマトが基本であり、これは岡山にいる時と変わらない。元日の朝食も、お雑煮ではなく、これで通した。
 余談だが、今回は岡山の自宅から運んだヨーグルトメーカーで自家製ヨーグルトを作ろうとしたのだが、最初の数回は失敗してしまった。原因は外気温が低すぎて、ヨーグルトメーカー内部の温度が42℃に達していないためであると判明し、最終的に設定温度を45℃としたことで何とか作れるようになった。妻の実家では窓際にヨーグルトメーカーを置いていたため、温度が上がりにくかったものと推定される。

 日々のウォーキングは、ほぼ規則的に実行できた。移動日を除いた8日間の総歩数は60627歩であり、1日平均で7578歩であり、目安の1日平均7000歩を上回ることができた。

 持参したブルーレイディスクは、殆ど見ないままに終わった。私の場合、テレビの前に座って何かを視聴するというような受け身的な状態は拘束感があり、Web日記のネタとして視聴する以外には殆どテレビを視ることが無い。毎年同様、NHK紅白歌合戦は全く見ていない。例外的に箱根駅伝は往路復路とも観戦したが、視聴時間帯はゴール区間となる5区と10区に限られていた。

 帰省中はスマホのUSBテザリングを利用してパソコンからネットに繋いでいた。料金プランから言えば、3000円ほど払えば無制限に利用できるのだが、ついつい節約根性が働いて、1カ月あたり3GB以下の最安料金を守ろうとしてしまう。データー通信量として多く消費したのは、LINEで家族宛てに写真や動画をアップロードする作業であった。もっとも通信量の節約に慎重になりすぎたために、実際の通信量は、12月が0.83GB、1月が1.4GBで、3GBの制限枠を遙かに下回った。私の利用状態からすると、USBテザリングだけでネットに繋いだ場合の通信量は1日あたり概ね0.1から0.2GB程度であり、同じ状態で15日間から20日間程度使い続けてやっと3GBに達するようであった。ちなみに岡山では家の中はWi-Fiが無料で使えるため、スマホでのデーター通信量は、外出時の位置情報タイムラインの記録とスマホ決済利用に限られている。この場合は1日当たり0.01GB以下になるようだ。

 岡山では認知症予防のため、毎日1回、詰め将棋、記憶テスト、クロスワード、オセロゲームにオンラインで参加しているが、帰省中はこれも通信量の節約のため中止。代わりにノートパソコンにインストールしている500円ゲームの麻雀や囲碁で遊んだ。以前にも書いたことがあるが、最近のAIの発展はめざましく、私の場合、同じゲームに収納されている将棋は、序盤のちょっとしたミスでたちまち負かされてしまって全く歯が立たない。囲碁についても同様で、いまのところ、5子の置き碁なら何とか勝てるが、4子ではAI側のうっかりミスで一度だけ勝ったという以外は、毎回僅差で負けてしまう。定石を覚えればたぶん勝てるようになるのだが、そこまでの意欲は無い。
 私の場合、麻雀も将棋も囲碁もオセロも、1人で楽しむ思考ゲームであって、それ以上でもそれ以下でもない。なので、生身の人間はもちろん、オンラインであっても、別段対戦してみたいとは思ったことがない。AI相手なら気兼ねなく対戦できるし、相手の長考に待たされることもない。

 もっとも、私が高齢者施設に入ったとして、毎日部屋に籠もってパソコンゲームに興じることはまずないと思う。人生の残り少ない貴重な時間をこうした遊びに興じることは時間のムダであると思う。といって、では何をすれば「時間のムダ」とは感じなくなるのか? これまでのところは、「じぶんを更新する」ことこそが無駄を感じさせない時間になると思ってきたが、身体的な健康がある程度保たれていても脳の機能が衰えてくると、残された機能の中で最大限の「更新」を目ざすほかはなく、傍目には無駄な過ごし方をしていると思われるような一日が最善ということもアリになってくるのかもしれない。