じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 ウォーキングの途中、近隣の町内会による、だんじり祭の行列を見かけた。かつて私の子どもたちが参加していた津島地区のお祭りとは異なり【2000年10月21日の日記参照】、 、
  • 日中に行われていた(津島地区は19時頃からだった)。
  • 太鼓のリズムが違っていた(津島地区は「こちゃえーこちゃえー」という歌に合わせ、「ドン、ドン、ドン、ガラガッタ、ドン、ドン、ドン」というように叩いていたと記憶している)
  • 子どもの数がずいぶんと少ない。
となっていた。
 見物していた白髪のおばあさんに、「子どもたちの数が少ないですね。昔はこの何倍もの行列になっていた」と話しかけると、「この地区に住んでいる子どもたちは2倍以上いるはずだが、来ていないようだ」と話しておられた。そのあと、昔の思い出話をしたところ、なんと、そのおばあさんの娘さんはいま36歳だということが分かった。ということは、私のところの子どもたちとほぼ同年代。さらに、私よりはかなり高齢に見えたおばあさんも、実は私と同年代であるということが判明した。

2022年10月23日(日)



【連載】チコちゃんに叱られる!「何年ぶりランキング」「おやつはなぜ3時」

 昨日に続いて、10月21日に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
  1. サツマイモは焼くとなぜ甘くなる?
  2. 相撲が東と西に分かれるのはなぜ?
  3. 【CO2削減のコーナー】ならべかえクイズ!これ何年ぶりでSHOW
  4. おやつはなぜ3時?
という4つの話題のうち、残りの3.と4.について考察する。

 まず、3.の「ならべかえクイズ!これ何年ぶりでSHOW」は
  1. ??年ぶりに竹に花が咲く
  2. ??年ぶりに決まり手「送り吊り落とし」
  3. ??年ぶりに「秘仏 馬頭観音 開帳」【福井県・中山寺
という3つの出来事を、短いほうから並べかえるというクイズであった。

 まず、いちばん短いのは2.の「送り吊り落とし」であり、2022年(令和4年)大相撲春場所の若隆景(○)vs大栄翔(●)戦で見られた。大相撲は年間6場所、約5150取組が行われるが、この決まり手は2007年秋場所以来15年ぶりであったという。チコちゃんも言及していたが、この勝負の決着がついた瞬間、実況のアナウンサーは少しも迷わずに「送り吊り落とし」と紹介していた。日頃からこういう稀な決まり手が即座に口に出てくるように練習を重ねているのだろうが、スゴイことだ。
 2番目は、「秘仏 馬頭観音 開帳」で33年ぶりであるという。この馬頭観音坐像は33の姿があり、33年に一度本来の姿に戻った時に本開帳が行われる。住職さんによれば、目を見ただけで全部心の中が見透かされるような姿に彫られているという。もっとも、この秘仏は厳格に33年ごとに開帳されているわけではなさそうだ。現にこの放送のために公開しているし、リンク先によれば、今年の9月のほか、次は2023年2月3日にも開帳されるとのことであった。こちらのサイトにもあるように、秘仏開帳というのは様々な寺院等で行われているが、1年に一度というのが多いように思われる。あまり間隔が長すぎると開帳の時期に拝観者が殺到して混乱する恐れがあるし、例えば50年とか100年に一度としてしまうと、住職の代替わりによって管理上の継承ができなくなってしまうと思われるからだ。
 3番目、「一番久しぶり」なのは淡竹(はちく)の開花であり120年ぶりで一斉に開花するという。この竹の開花については2021年5月30日[サイエンスZERO]【驚】竹が大開花!120年に1度のチャンスで取り上げられたことがあり、今回の放送で紹介された竹の開花の瞬間の画像も、その時の放送画像を借用したものであった。サイエンスZEROを視聴した後、私も半田山植物園の竹園などを注意深く観察してみたが、確かに1〜2種類はこの年に開花していたものの、他の品種には広がらなかった。また、妻の実家のある北九州の里山にもいくつかの竹林があるが開花の兆候は見られなかった。なので2021〜2022年が竹の一斉開花のタイミングにあたっているのかどうかは確認できていない。なおこちらによれば、ハチクとマダケは120年に一度開花するが、モウソウチクやトウチクについては「モウソウチクは一斉開花性を示さず竹林の一部分が開花する種類として知られています。また、トウチクは一斉開花性を示すかどうかよく分かっていない種類です。」と説明されている。私がよく見る竹林はモウソウチクなのかもしれない。




 最後の4.の「おやつはなぜ3時?」という疑問については、私は、岡村さんと同じで「朝食→昼食」よりも「昼食から夕食」の時間間隔が長いため、栄養やカロリーを補給するためだと思っていたが、放送では「3時がおやつだから」と説明された【岡村さんは当初「3時のおやつは○○○というCMの影響ではないか」と言いかけてNHKのため自粛した。】
 放送によれば、おやつが生まれたのは江戸時代中期で、八つ刻(やつどき、午後2時〜4時)の間食のことを意味する。そもそも「おやつ」とは、八つ刻に「御」をつけたことに由来している。
 江戸時代の一般的な時間認識は「不定時法」と呼ばれるもので、日の出と日没を基準として昼と夜をそれぞれ6等分して、現在の時刻でいうと午後2時〜4時が「八つ刻(やつどき)」に相当していた。なおここで脇道に逸れるが、日本の不定時法は、「一つ」から「二つ」、「三つ」というように順番に増えて「六つ」になるわけではなく、昼も夜も「四つ」から「九つ」までが使われていたということに、今回初めて気づいた(十二時辰参照)。その理由については、
時報を「9」回の鳴鐘から始めるのは、陰陽師が暦とともに時間も管理していたことに由来する。陰陽道では奇数を縁起のよい陽の数とし、その極値が9であることによる。以降、次の時辰は本来の考え方では、9を2つ重ねて18、さら次は3つ重ねて27とするが、これでは数が大きすぎるため、鳴鐘は十の桁を省略して8、7としている。それゆえ結果的に鳴鐘は9から1つずつ減っていくように見える形となっている。
と説明されていた。
 元の話題に戻るが、当時、江戸の町の労働者は八つ刻に、そば、天ぷら、すしなどを間食として食べる習慣があり、さらに徳川吉宗の時代には砂糖の国内生産が奨励され、まんじゅう、だんご、お汁粉など甘いものが食べられるようになった。またこの頃から寺子屋の子どもたちもおやつを楽しみにするようになった。
 しかし、不定時法では、西洋の国々で採用されている定時法と不一致があり、幕末には混乱が生じるようになった。例えば八つ刻に約束すると、午後2時にやってくる外国人と、午後2時から4時までにやってくる日本人のあいだでトラブルが生じるようになった。さらに明治に入って鉄道が開業すると、人々は細かな時間を気にするようになり、1873年に政府は不定時法を廃止して1日24時間の定時法を採用したという。
 なお放送では追加情報として、脂肪をため込もうとする遺伝子「BMAL1」は、夜10時頃から深夜にかけて最も活発になる一方、午後3時頃には最も働きが低下するので脂肪になりにくく、3時はベストな時間であると説明された。ちなみに私は、朝食が5時半〜6時、昼食が11時〜11時半、夕食が17時〜17時半というように規則的になっており、おやつなどの間食はとらない、規則的な生活をしている。

 以上で取り上げられていた不定時法と定時法はそれぞれメリット、デメリットがある。そもそも月や日にちは、不定時法に似たようなもので、例えば「10月25日に会いましょう」と言った時は25日の0時から24時までの時間帯を含んでいるし、「私は11月に生まれた」と言えば、11月1日から30日までのすべての日が含まれており、大ざっぱな時間表現として適している。いっぽう、会う時刻は現在では定時法で表現するほかはないため、3時に会いましょうと言えば、3時0分0秒にその場に現れることが最も正確であり、「3時から3時半の間に会いましょう」というと大ざっぱであるような印象を与える。要するに定時法になったことで厳格な時間に支配されてしまったという印象がある。
 なお、不定時法に似たような表現はロシア語でも見られるようだ。こちらに解説されているように、ロシア語では、0時から1時までが「1番目の時間」、1時から2時までが「2番目の時間」となっており、「0時5分」や「2時20分」はそれぞれ、「1番目の時間の5分過ぎ」、「3番目の時間の20分過ぎ」というように表現される。