じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 スカイツリーの大展望台から眺める北十間川(南東方向、写真上)と水戸徳川家の屋敷跡の緑地(北西方向、写真下、現・墨田区立隅田公園)。2022年6月撮影。
 撮影時は全く気づかなかったが、今回の「ブラタモリ」を視て、北十間川が曲がっていること、水戸藩の屋敷があるために東武鉄道が西側に延伸できなかった理由(現在は旧・屋敷の南端から隅田川を渡って浅草方面まで延伸されている)がよく分かった。↓の記事参照。

2022年10月11日(火)



【小さな話題】ブラタモリ「スカイツリー」

 10月8日に初回放送された、

●NHK総合 ブラタモリ「東京スカイツリー〜なぜここにスカイツリーは立っている?〜」

 番組冒頭で「開業から10年でなんと4000万人が訪れました」と紹介されていたが、遅ればせながら私も今年の6月下旬に生涯一度のスカイツリーを訪れたばかりであり、興味深く拝見した。

 放送ではまず。隅田川の墨堤(ぼくてい)付近がクランク状になっている理由が説明された。放送では特に言及されなかったが、鳩の街はかつては赤線地帯として発展し、小説や戯曲に取り上げられたことがあった。鳩の街はかつて川が流れており、隅田川は二股に分かれていた。スカイツリーのある場所は、土砂が堆積した微高地であり開発しやすい場所であったという。またすぐ近くを流れる運河「北十間川」は、それより南側の運河がすべて直線状であるのに対して曲がっている。これはかつての海岸線の名残であったためと説明された。押上という地名も「波が押し上げた土地」が由来となっている。

 ここで、下町の低湿地帯になぜ巨大なタワーが立てられるのかという疑問が生じる。スカイツリーの立っている場所と、2.6km東の亀戸水神駅のある場所の地下を比較すると、硬い砂礫層までの深さは、スカイツリーでは30mであるのに対して、亀戸水神駅は60mとなっている。スカイツリーは、杭を打つ場所としては奇跡の立地であったと説明された。

 スカイツリーが立っている敷地には、もともと東武鉄道の貨物ヤードがあった。もともとこの場所は吾妻橋駅があった。東武鉄道はそこから西方向に延伸して都心への乗り入れを計画していたが、西側の隅田川左岸には水戸藩の大名屋敷があり関東大震災のあとは公園となったため延伸できなかった。その代わりに重視していた亀戸経由、旧・総武鉄道は国有化されたため亀戸以西には乗り入れできなくなった。そこで東武は、吾妻橋駅に隣接した北十間川に船着き場を建設した。当時は賑わったものの、戦後は水運が衰退し、敷地だけ残ったことがスカイツリー建設に繋がったという。船渠に使われた護岸石はスカイツリーの広場に使われている。

 放送では続いてスカイツリーの構造が説明された。
  • スカイツリーの足元が三角形になったのは、敷地が狭く、最も足の幅が広くとれるのが三角形であったため。そして少しずつおにぎり型に丸くなり、320mより上は円形となっている。
  • 高さと足元の幅の比率は東京タワーが3:1であるのに対して、スカイツリーは9:1となっている。
  • 中心には高さ375m(下のほうの大きい展望台の屋根あたりまで)の「心柱」があり、下のほうは固定されているが、上のほうは可動域となっている。
  • 「心柱」はチューブのような円筒形で、下部では厚さ40cm、上部は厚さ60cmでわざと揺れやすくしている。これにより、地震の揺れを50%程度相殺する効果をもたらす。
  • 「心柱」の内部は半円に分かれた非常階段が設置されている。
  • 日本伝統の心柱とは仕組みは異なる。
  • ゲリラ豪雨の発生のメカニズムを探るためエアロゾル粒子を採取している。
  • 高さが634mになっているのは「武蔵の国」の語呂合わせ。
  • かつて、武蔵国と下総国は、隅田川のかつての本流の西側、国境に立っている。

 なお、番組冒頭のところで、スカイツリーの周辺の6本の通りがまるでスカイツリーを目ざすように伸びているという話題があったが、なぜそのような配置になったのかは、私が視聴した限りでは特に説明されなかった。


 ここからは私の感想・考察になるが、まず、ウィキペディアによれば、東京スカイツリー建設の経緯は以下のように要約できる【長谷川により要約・改変あり】。
  • 2000年頃から首都圏各地で新タワーについての誘致活動が行われていた。2003年12月には日本放送協会(NHK)と在京民間テレビ局5社(TBSテレビ、日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京)が600メートル級の新しい電波塔を求めて「在京6社新タワー推進プロジェクト」を発足。新タワー構想を推進していくことで建設に向けた計画に進展が付いた。
  • 候補地決定までには東京の各地でいくつもの誘致活動が行われた。墨田区の現敷地のほか、港区(東京タワーの改装)、練馬区(高さ1008mの東京ワールドタワーをとしまえん敷地に建設)、新宿区(新宿駅南口付近)、豊島区(サンシャシンシティの隣接地)、台東区(隅田公園周辺地区)、足立区(舎人公園敷地内)、千代田区(秋葉原駅前)、さいたま市(さいたま新都心)。
  • 「在京6社新タワー推進プロジェクト」は新タワーの建設地を第1候補地は「墨田・台東エリア」、第2候補地は「さいたま新都心」としていたが2006年3月31日に「墨田・台東エリア」に決定した。
  • 2008年7月14日に着工され、3年半の期間をかけて2012年2月29日に竣工。
  • 正式名称決定までの仮称は「新東京タワー」。正式名称は一般公募によって寄せられた1万8,606件の命名案の中から、まずは有識者10人で構成される「新タワー名称検討委員会」によって6つに候補が絞り込まれた。言葉の美しさや親しみやすさなどを基準に「東京スカイツリー」「東京EDOタワー」「ライジングタワー」「みらいタワー」「ゆめみやぐら」「ライジングイーストタワー」の6つが名称候補として選ばれ、2008年春にインターネットを通じて一般投票を行った。その結果、最多得票の「東京スカイツリー」に決定した。
  • 着工当初は610.6mの計画であったが、2009年10月16日に計画を修正し、高さ634mを目指すことを発表した。数字には東京近辺の旧国名である武蔵国(「むさし」のくに)の語呂合わせも考慮したとしている。当初は東京タワーの2倍の666mの計画だったが、設計者から少し低い高さにすべきと言われ、浅草寺が創建された628年に因み628mの案もあった。
 なお、今回の放送では全く言及されていなかったが、ウィキペディアでは、東京スカイツリー建設についてはいくつかの問題点が指摘されている。気づきにくい問題点としては、展望台に積もった雪の落下がある。実際、2013年1月15日には直径20センチメートル以上の雪塊が何度も落下し、民家の屋根に穴が開くなどの被害が4件発生したという。

 このWeb日記は1997年から執筆しているが、スカイツリー関連の話題は私の関心事にはならず、殆ど取り上げたことが無かった。ざっと検索したところ、スカイツリー営業開始の2012年5月22日の日記で「スカイツリーより高い所から東京を見下ろす方法」を取り上げた記事しかヒットしなかった。名称選定については「スカイツリー」には違和感があり、別の名称を支持していたように記憶しているが、どこに書いたのかは覚えていない。
 営業開始の頃はスカイツリー周辺は大混雑しており、展望台まで登るには何時間も待たされる可能性があった。また、飛行機からでも似たような景色が眺められたことから、たまに上京してもわざわざ登ってみようとは思ったことがなかった。今年の6月に急遽登ってみようかということになったのは、
  • 生まれたばかりの1人を除き、残り4人の孫が勢揃いして登る機会が生じた。
  • 新型コロナの感染が一時的に下火になっていた。
  • 水際対策により外国人観光客がほぼゼロで比較的空いていると予想された。
といった理由による。
 なお、スカイツリーには「天望デッキ」(350m)と天望回廊(450m)という2つの展望台があるが、私が訪れた限りでは、見える景色は大差無い。天望デッキだけでも十分であるように思われる。あと、ネット上にはチケット購入の情報がいろいろあるが、企業によっては福利厚生事業の一環として割り引きクーポンを発行しているところがあり、家族全員が割安のチケットを入手できる場合がある。私が入場した時も、かなり安く、しかも当日売の長蛇の列に並ぶ必要なく、さらにチーズケーキのプレゼントのついた入場券を手に入れることができた。