じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 観測史上で最も短い梅雨期間により中国地方では水不足が心配されていたが、このところの「戻り梅雨」により、岡山県の旭川ダムも、四国の早明浦ダムも、貯水率がかなり上昇した。
 旭川ダムはまだ50%に達していないものの、周辺の山間部ではかなりの降水量を記録。早明浦ダムのほうは少し前に貯水率が50%を超え、7月10日の7時から放流が再開されたようだ。

2022年7月10日(日)



【連載】チコちゃんに叱られる!「ポテトチップス」「浴衣」「赤ちゃんの頭が大きい理由」

 7月9日に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この回は、
  1. ポテトチップスが薄いのはなぜ?
  2. 浴衣ってなに?
  3. なぜ赤ちゃんは頭が大きい?
という3つの疑問が取り上げられた。

 まず1.のポテトチップスが薄い理由については、放送では「料理にケチつけられたコックさんが逆ギレしたから」と説明された。
 もともとは、厚切りのジャガイモを揚げたフライドポテトが作られていた。アメリカ・ニューヨーク州のサラトガスプリングスにあったムーン・レイク・ハウスホテルで自慢の腕をふるっていたコックのジョージ・クラムが1853年のある日、客から「フライドポテトが分厚すぎる」とクレームをつけられた。逆ギレしたクラムはフォークで刺せないほど薄くしたフライドポテトを出したところ客が大絶賛。薄いフライドポテトはサラトガチップスと呼ばれアメリカで流行し、その後「ポテトチップス」という名称で世界各地に広まったという。
 なお、放送の中でも瞬間的にテロップが流れたように「ポテトチップスの発祥については諸説あります。」というのが妥当な見解であり、じっさいウィキペディアでも、
発祥については以下のジョージ・クラム発明説が流布しており業界団体も採用しているが、証拠の乏しさや異説の存在などから異議を唱える者も多く、関連人物の調査に当たったサラトガの歴史家はレストランジョークと実在の人物を合わせた作り話だと結論づけている。
と説明されていた。
 ちなみに、私自身は、総じて揚げ物が嫌いであり、自分からポテトチップスやフライドポテトを注文することは無い。国際線の機内食などで付け合わせに提供された時に、空腹を満たすために食べる程度であった。もっともウィキペディアのリンク先によれば、2019年のデータによれば、日本国内で生産されるジャガイモの17.6%が、ポテトチップスへと加工されているというから、多くの人たちにとっては好物になっているのだろう。
 なお、放送ではポテトチップスメーカーの担当者が登場されていたが、画面をよく見るとこのメーカーは湖池屋であることが確認できた。ネットで検索すると、湖池屋とカルビーが熾烈なシェア争いをしているといった記事も目にとまるが、2019年時点ではカルビーのシェアが70%を占めているとの情報があった。




 次の浴衣の由来であるが、放送では「お風呂の中で着るもの」と説明された。日本ではもともと、沐浴が行われていたが、奈良時代に仏教が伝わると、病気を避け福を招くために入浴が行われるようになり、お寺の敷地内に入浴施設が造られ、庶民にも提供された。但し当時は蒸し風呂形式であり、汗を吸収したり蒸気によるやけどを防ぐために麻製の湯帷子(ゆかたびら)が着用されるようになった。
 現在のような浴槽形式のお風呂がいつ頃定着したのかについては詳しくは分かっていないが、鎌倉時代になると銭湯の原型が現れたという説もある(諸説あり)。この頃には、湯帷子は入浴中ではなく、湯上がりの汗取り用(バスローブのようなもの)として着られるようになり、また呼称も浴衣に変化した。
 江戸時代になると、湯上がりだけでなくそのまま外でも浴衣を着る習慣が広まり、さらに天保の改革で絹織物などの和服が禁止されたことで、外出着として定着するようになったという。

 放送では、浴衣の柄として「吉原つなぎ【人と人を結ぶ良縁】」、「矢絣(やがすり)【まっすぐ前に突き進む】」、「麻の葉【健やかな子どもの成長、厄除け】」、「流水【清らかさ、苦難や禍を避ける】」が紹介された。これらの一部は、2日前の日記で取り上げた平面充填の図柄になっており、その中で「麻の葉」が「p6m」に分類されるという話も出ていた。

 なお、浴衣に似た衣服に寝間着(寝巻き、ねまき)があるが、素材や仕立てに違いはあるものの明確な区別は無さそうだ。温泉旅館などではどちらにも使えるように思う。




 最後の「なぜ赤ちゃんは頭が大きい?」については、放送では「この世界に生まれるという大きな試練を乗り越えるため」と説明された。生まれる前の赤ちゃんは、お腹の中でお母さんから栄養や酸素を貰って成長していくが、生まれて外の世界に出た直後から、まぶしい光、様々な音、気温の変化、重力といった環境に直面し、自分で呼吸をしたりお乳を飲まなければならなくなる。こうした試練に立ち向かうために、赤ちゃんはお腹の中で脳を最優先に成長させる。そのため、体全体の中で頭の部分が相対的に大きくなる。頭は誕生後も成長するが5歳頃にはストップする。そのため、生まれた当初は4頭身であった比率が20歳頃には7〜8頭身となる。
 このほか、赤ちゃんは頭が大きいことによって、ベビーシェーマ」の効果が働き、大人から守ってもらえるという利点があると説明された。

 放送では、3人の女性モデルさんの動画を加工して、頭を大きくしたときに可愛く見えるかどうか実証された(私自身は、それによって特に可愛く見えるとは思わなかったが)。また、
人間以外の動物の赤ちゃんも、体に対して頭が大きく生まれることが多いが、人間はほかの動物よりも大きな頭を持って生まれる。その理由の1つとしては、高度なコミュニケーション力を備えるため、...
などと説明された。

 ここからは私の感想・考察になるが、上記の説明は概ね納得できるものの、「真の原因」と「後で付け加えられた効果」が混在しているように思われた。例えば、ベビーシェーマの効果はあくまで後付けであって、頭が大きいことの真の原因ではない。もし真の原因であるとすると、頭の大きい赤ちゃんのほうが小さい赤ちゃんよりも可愛がられる可能性が高く、結果として生き延びる確率が高まるというようなトンデモ進化生物学的な説明になってしまう。
 でもって、「真の原因」は何かということになるが、人間でも動物でも、赤ちゃんの全体の大きさは、子宮や産道によって制限を受ける。その中でも手足は場所塞ぎとなるので、相対的に頭や体幹の部分が大きくなるほうが適応的となるように思う。但し、サバンナで暮らす草食動物の場合は、生まれた直後から襲われる危険が大きいため、それなりの脚力を備えた四肢が必要であり、頭よりも四肢がしっかりしている赤ちゃんの方が生き延びる確率が高まる。いっぽう、生まれた当初、お母さんにしがみついて移動するサル類の場合は、しがみつく力さえ備わっていれば、それほど長い手足は必要ないということになる。人間の赤ちゃんは自分の力ではしがみつくことができないほど微力だが、そのぶん、母親や家族のケアがしっかりしているので、頭以外の部分は出生後に成長しても十分に生き残ることができる、といったところだろうか。
 上にも述べたように、「赤ちゃんはなぜ頭が大きいか」という疑問と、「人間はなぜ頭が大きいか」という疑問は分けて考える必要がある。前者はあくまで出産・成長過程でどの部位を優先的に成長させるかという問題、後者は脳の働きの適応的な意義についての問題である。脳の大きさだけで言えば、ネアンデルタール人のほうが現世人類よりも脳が大きかったと言われる。なので脳の大きさ(頭の大きさ)だけで適応的かどうかを説明できるとは限らない(現世人類のほうが地球上の各地に広がっていたため、そのうち運のよかった者たちがたまたま生き残ったの過ぎないという説もある)。