じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 ↓の記事で、1966年に竣工した出光丸の話題を取り上げたところであるが、タンカーと言えば、私自身、1966年頃、姫路の飾磨から四国沖を通って徳山まで乗せてもらったことがあった。一般人としてはまことに貴重な、人生で一度限りの体験であった。
※モノクロ写真を着彩アプリで着色している。

2022年5月28日(土)



【連載】プロジェクトX4Kリストア版【クォーツ式腕時計』『出光丸』

 昨日に続いて、NHK-BSPで、4Kリストア版として再放送されているプロジェクトXの話題。本日は、5月以降に放送された、
  1. #64【2001年9月4日初回放送】『逆転 田舎工場 世界を制す〜クオーツ・革命の腕時計〜』:諏訪精工舎(現:セイコーエプソン)の クォーツ式腕時計(アストロン)
  2. #104【2003年1月7日初回放送】『世界最大の船 火花散る闘い』:石川島播磨重工業(現・IHI)のタンカー「出光丸」建造
という2つのタイトルについて考察する。

 まず#64のクォーツ式腕時計は1969年に発売された。ウィキペディアによれば、
初代は服部時計店(現セイコーホールディングス)の開発部門である諏訪精工舎(現セイコーエプソン)による10年間の開発を経て、1969年12月25日に東京で発売された。45万円(当時、中型車1台に相当)という価格にもかかわらず、発売から1週間以内に100台が売れた。
と記されている。初回放送時の2001年の時点で、世界で使われている98%がクォーツ腕時計となっているという。
 放送内容から逸れるが、この放送を視た時点でよく分からなかったのは、服部時計店と精工舎の関係、セイコーエプソンとセイコーホールディングスとの関係であった。ウィキペディアなどで検索してみると、
  • 【服部時計店】
    • 1881年12月に服部金太郎が創業した輸入時計・宝飾品の販売店。後に時計の製造卸売会社、精密機器・電子部品・電子機器メーカーとして発展する。
    • 1917年に会社化され株式会社服部時計店(K. Hattori & Co., Ltd.)。株式会社服部セイコー(Hattori Seiko Co., Ltd. 1983年)、セイコー株式会社(Seiko Corporation 1997年)への改名を経て、2001年に純粋持株会社となり、現在はセイコーホールディングス株式会社 (Seiko Holdings Corporation 2007年)。セイコーグループの源流企業。
  • 【セイコーエプソン】
    • 1942年(昭和17年)5月 - 諏訪市の時計商・山崎久夫により有限会社大和工業(だいわこうぎょう)として設立。株式会社第二精工舎(現在のセイコーインスツル株式会社)の出資(資本金3万円)により、同社の関連会社・工場として操業開始。セイコー腕時計の部品製造、組み立て工場としての出発。
    • 社名からセイコーホールディングス(セイコーHD)の子会社と誤解されることが多いが、別経営の独立した会社である。セイコーインスツルはセイコーHDの完全子会社となっているが、それに対して現在のセイコーエプソンはセイコーHDとの直接の資本関係は薄い。
    • ただ創業者の山崎久夫が服部時計店の元従業員であったことや、創業当初に服部家・第二精工舎からの出資を受けていたこと(服部時計店の子会社ではない)、また第二精工舎の協力会社として腕時計の部品製造や組み立てを行っていたこと、前身の諏訪精工舎は大和工業が第二精工舎の諏訪工場を営業譲受して生まれたことなどから、服部時計店・第二精工舎とは古くから強い関係があった。
    • 現在もセイコーの創業家である服部家(服部金太郎の次男・正次の家系の個人および一族の資産管理会社)が大株主であり、時計の開発・製造での関連が深い。そのため、セイコーHD(旧服部時計店)を中心とするセイコーグループのひとつとして見なされることもあり、セイコーインスツル株式会社も併せて「セイコーグループ中核3社」を形成している。
    • ただし、セイコーHDとの関連事業である時計関連の売上げはセイコーエプソン全体の売上げに占める割合は数%程度であり、プリンターなどの主要事業と比較すると低い割合になっている。
ということであるが、イマイチよく分からない。
 放送では、タンスの大きさほどもあるクォーツ時計をいかに腕時計として小型化するのかについての努力が語られた。その一例として、音叉の形にヒントを得たU字形への改良により消費電力を抑える工夫、社員たちが開発した腕時計をはめてバレーボールを打つという耐久試験などのエピソードが印象的であった。

 ここからは私の感想になるが、私が腕時計を使い始めたのは中学生の頃(1965年入学)からであったが、当時はまだクォーツ時計は登場していなかった。1日に数分程度の誤差が生じるのは当然であり、毎日、時計合わせとネジ巻きを欠かすことは無かった。当時は、石数の多い時計のほうが高級とされていたが、「クオーツ式」というのが登場しても、その石の一種だろうという程度にしか気にとめていなかった(というか、値段が高すぎて購入対象にはなっていなかった)。その後、大学院生の頃(1970年代後半)からはカシオのデジタル腕時計を使い始めており、現在に至るまで一貫してデジタル腕時計の愛用者となっているが、クォーツが使われているのかどうかは分からない。いずれにせよ、最近はずっと電波式時計を使っているので、時間を合わせることは一度も無いし、また太陽電池式なので電池交換の必要もない。機械式腕時計の時には必須であった分解掃除も全く不要。いまメインで使っている腕時計は2011年9月に購入したものであり、11年使い続けているが特に問題ない【別に、山登り用に高度計・温度計つきの腕時計があるが、新型コロナ以降はもっぱら室内の明るい場所に保管しているだけで(←太陽電池の充電のため)、全く使う機会がない】。

 ということで、放送内容とは関係の無い話ばかりになってしまったが、クォーツ式腕時計とはあまり縁の無い私であった。




 次の#104のタンカー建造の話だが、全長342メートル、20万t級の世界一の出光丸が建造されたという話は1966年当時にも聞いたことがあった。当時の日本で消費される1日分の原油を一度に運べるというのもスゴイ。

 このタンカー建造の背景には、
  • 戦前から引き継がれた造船技術
  • 世界中のタンカーが欧米のメジャーに握られていて、原油の価格がつり上げられていた。
という2点があったようだ。このプロジェクトXでも別に放送されたように、戦前からの技術の継承は、このほか、新幹線、YS-11などにも引き継がれており、戦後世代の頑張りだけではなし得なかったことに留意する必要がある。この回の出光丸も、かつての戦艦大和の建造技術が活かされていた。

 放送では、現場監督の熱意と活躍、「ハイテンション鋼」の採用、それに伴う溶接技術の改良などが取り上げられていたが、私の好みであるような、画期的な着想を取り上げたエピソードは無かった。なので、内容的には、これまでにリストア版で放送された富士山レーダー、東京タワー、青函トンネル、新幹線、YS-11などと比べて、特に際立った感動場面は無かった。ま、大型のプロジェクトというのは、個人の活躍範囲が限られており、困難克服場面ばかりを誇張するとわざとらしく感じてしまうところがある。何事も無く計画通りに遂行されたプロジェクトにも、ハプニング連続のプロジェクトと同等以上の価値があるように思う。

 ところで大型タンカーであるが、ウィキペディアによれば、世界最大のタンカーは1979年に建造されたノック・ネヴィスであり56万重量トンであっ(総トン数では5位)た。もっともこのタンカーは純日本製ではなく、製造過程でいろいろな変遷があったようだ。また、1988年にはイラン・イラク戦争で撃沈された後浮揚・修理されたという経歴を持っていたが、最終的には2010年に解体。また、この船以降は、大型化は沈静化しているという。

 いちばん気になるのは日本の造船業の衰退である。私が中高生の頃は、造船は日本がトップシェアを誇っており造船王国と言われていたものだが、2000年代に入って、中国と韓国が台頭し、日本は3位に転落。復活の兆しも見られないという。もともと海岸線の長い国であるゆえ、海運、漁業、防衛のほか、洋上風力発電や波力・潮汐力を利用した発電、海底資源開発、大型病院船の建造など、造船関連の需要は相当にあるはず。国力の基盤をささえる産業としてもっと育成する必要があるように思う。