じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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定年前の最後の腕時計になるか?

 3連休の初日、某ホームセンターで、「電波時計、ソーラー充電、10気圧防水、シチズン時計Q&Q MHS5-200、平日の1000円引で4980円」という商品が売られているのが目にとまった。基本機能(時刻、ストップウォッチ、アラーム、デュアルタイム)しかついていないので割高のようにも思えたが(←後日ネットで調べたら最安値は3960円であった)、即決で買ってしまった。

 一番の理由は、老眼が進行して、いま使っている時計(写真左、カシオのDATA BANK)では時刻が読み取れなくなってきたためである。特に、夜中にいま何時なのかを確かめようとしても、時計のバックライトや、室内灯だけでは時刻が読み取れず、先日の旅行の際にも不便を感じていたところであった。今回はちょっとした差ではあるが文字が大きくなっていて、この違いだけでも老眼者にとっては大助かりである。

 ちなみに、私自身は、30年ほど前から一貫してデジタル腕時計一筋である。最近は割高なアナログ時計ばかりが売られているが、私には、あんなものがなんで便利なのかさっぱり分からない。また、装飾品には一切興味が無いため、時計に関してはとにかく正確に時を刻む機能さえあればそれで十分。あと、写真左のようなDATA BANK機能は、老眼で見えにくいこともあって、殆ど全く使うことがなかった。

 この時計、ソーラー充電機能がついていることもあり、あと7〜8年は使えるのではないかと思っている。となると、定年退職(あと6年半)前の最後の腕時計になる可能性が高い。次回はさらに老眼が進んでいると思われるので、何はともあれ文字盤の大きいタイプ、またできれば、ボタンを押すと音声で時刻を教えてくれるタイプが欲しいところだ(←もっとも、老眼に加えて、加齢により音が聞こえにくくなっている恐れもあるが)。

9月26日(月)

【思ったこと】
_b0926(月)日本行動分析学会第29回年次大会(10)許可の随伴性・阻止の随伴性・ルール支配行動:青年・成人臨床事例からの再考(7)ルールに基づく強迫性障がい症例への介入(2)

 昨日の続き。紹介された、
  • 行動の順番や顕著な儀式的行動により日常生活に支障
  • 確認行動が多すぎて日常生活に支障
という2例のうち前者の方の主訴には、「何をするにもやり方、順番が決まっている。それをしないとよくないことが起きてしまう。」が含まれていた。しかも、その順序パターンが増えそうな気がするということであった。維持されている行動や思考パターンの中には「救急車が通るとお祈りする」、「靴下は左から履く」なども含まれているという。

 話題提供内容には個人情報も含まれると思うのでここでは具体的な言及は避けるが、本題の「阻止の随伴性」に関連する部分のみを取り出すと、要するに、クライエントの順序パターン、確認行動、儀式的行動はいずれも、「行動すれば悪いことなし」、「行動しないと悪いことあり」というルール化された阻止の随伴性によって形成・維持されており、それらは、「行動しなくても悪いことは起こらない」という体験の積み重ね、具体的には、「何もしない曜日を設ける」、「できそうなものから止めてみる」、「新しい儀式的な行動が増えそうな気がした時には、気ぞらししてみる」などの対応で消去 していくという形で改善を図ったということであった。

 以上の話題提供内容は十分納得できるものであったが、阻止の随伴性による強化で形成された行動はもともと消去されにくい性質があり、「何もしない」や「気ぞらし」が最善策であったかどうかはイマイチ不明であった。また、このケースでは、順序パターンや儀式的行動にはかなり不合理の面があり、本来、何もしなくても悪いことは起きないという特徴を持っている。しかし、例えば、治る見込みの少ない病気を患っている人たち(例えば末期ガンの患者さん)の場合は、「何もしない」状況では事態は刻々と悪い方向に変化してしまう。もちろん行動してもその悪化を食い止めることはできないのであるが、少なくともそういう事態では、順序パターンや儀式的行動は「何もしない」という形では消去されにくいように思われる。行動したにも関わらず事態が悪化したとしても、その場合はしばしば「まだまだ行動が足りない」と解釈されてしまうのである。じっさい、一般に、信仰に熱心な方の場合などは、自らに悪い出来事が起こっても、それをもって信仰を否定する根拠としては解釈しない。常に「悪いことが起こるのはまだまだお祈りが足りないからだ」というように解釈され、ますます宗教的行為を増やす方向に向かっていくのである。

 次回に続く。