じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 この時期、ウォーキングコース沿いでニワゼキショウを見かけることが多くなった【写真下】。また、GW中には、帰省先の北九州で、ニワゼキショウより背の高いオオニワゼキショウが花をつけていた【写真上】。
 各種ネット記事によれば、両者を区別する手がかりとして、
  • オオニワゼキショウ:内と外の花被片の幅が違う。
  • ニワゼキショウ:花被片が同形。
というのがあるというが、写真上でオオニワゼキショウで内と外の花被片の形が違うことは確認できるものの、写真下のニワゼキショウでも内外の花被片の形は多少異なっているように見える。交雑種があるかどうかは未確認。


2022年5月17日(火)



【連載】ヒューマニエンス「“老化” その宿命にあらがうか 従うか」(3)NMNのサプリ、老化細胞の癌を抑える働き

 5月13日に続いて、2022年4月12日に初回放送された表記の番組についての備忘録と感想。

 まず、前回のところで、NADに老化を遅らせる効果があるという話題を取り上げた。私たちそれぞれがどのくらいのNADを持っているのかを測り、必要に応じてNADを補えば、いつまでも若さを保てるはずだ。このNADのもととなるNMMのサプリメントはすでに発売されているという。今井先生は、この点について、
現時点では、高品質で安全性がきちんと確認されているものは、まだなかなか高価のものが多い。ヒトで研究を積み重ねて本当に効果を得られるかを確認しなければならない。
と述べておられた。なおウィキペディアでは、
2021年7月現在では、サプリメントで摂取する方法と血中に点滴で投与する点滴療法がある。NMN自体の効果は、しっかりしたエビデンスができているが、ヒトにうまく投与できるかという製剤上の課題は残されている。研究では成分がヒトに吸収され、血中濃度が上がることまでは分かっている。著名人では堀江貴文が錠剤で摂取していることを明らかにしている。サプリメントの登場当初は価格帯が1ヵ月分で数十万〜数万と非常に高価であったが、原材料を大量購入や低コストでの製造法が確立したことにより、近年では価格が一か月分で数千円のレベルまで下落している。
と記されていた。

 放送では続いて、2番目の話題として、「老化を招く細胞の正体」という話題が取り上げられた。細胞レベルで老化が起きるメカニズムを研究しておられる原英二先生(大阪大学)が提供した映像によれば、若い頃の細胞は活発に分裂を繰り返すが、老化した細胞は、生きてはいるが全然分裂しない。老化すると分裂しなくなるのは、癌を防ぐためと考えられている。細胞は分裂する時に25000の遺伝子を含むDNAをコピーしなければならないが、そのうち100〜200個はコピーミスを起こす。そのコピーミスが重なると癌になる可能性が高まるので、コピーミスをした細胞の分裂をそれ以上させなくする働きが必要となるが、これが老化である。老化は、癌とのトレードオフであり、生物が作った非常にクレバーな賢いシステムである。しかし、この老化細胞は徐々に増えていき、全身に広がっていく。そうなると増えすぎた老化細胞がSASP因子(Senescence-Associated Secretory Phenotype)を出しすぎるようになり、慢性炎症の状態が繰り広げられるようになる【SASPについては、こちらに関連記事あり】。こうして、脂肪組織で慢性炎症を起こすと糖尿病になり、血管で起きると動脈硬化になったりする。原先生はこの点について、
進化の過程では、細胞老化の副作用はあまり計算に入れずに僕たちは獲得していってしまった。進化のスピードを飛び越えて寿命がすごく延びたから、細胞老化の副作用がかなり目立ってきてしまった。
と述べておられた。「癌を防いで命を守るはずの老化細胞が逆に健康を損なうというパラドックス。それが老いの正体なのだ。」というナレーションが流れていた。

 ここからは私の感想・考察になるが、老化細胞の働きについてはヒューマニエンスの、

「“死” 生命最大の発明」

あるいは、令和の寺子屋「生命って何だろう 生物学者・福岡伸一」の、

全ての生物はなぜ死ぬか(2)テロメア、老衰

の中でもかなり取り上げられており、老化と癌がトレードオフの関係にあることはある程度知っていた。このことでふと思ったが、上記のNMNサプリを摂取している人の場合、細胞分裂のほうはどうなっていくのだろうか。NMNが老化細胞の増加を防ぐとしたら、当然、癌のリスクは高まっていくはずだ。また、NMN自体にそのような働きが無いとすれば、いくらサプリを補給しても最後は、細胞の分裂が止まって老衰で死んでしまうことになる。なおリンク先にも引用したように、老衰で死ぬというのは、必ずしも「安らかに死ぬ」ということでは無さそうである【出典はこちら】。老衰で死ぬよりも、(もうすぐ寿命が尽きることが確実になった時点で)どうすればできる限り苦しまずに死ねるのか、という安楽死の方法を開発したほうが良いようにも思う【もっとも、「ゼッタイに苦しまない安楽死」で死んだ人が本当に苦しまなかったかどうかは、死んだ人に聞いてみるわけにはいかないので、実証できないかもしれない】。

 次回に続く。