じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 2月1日の夕刻、近隣のクリニックで新型コロナワクチン3回目の接種(ファイザー)を無事に完了した。ワクチンをあまり頻繁に接種するとそのうち自然免疫システムがボロボロになったり、何十年も経った後で新たなウイルスに遭遇した時に免疫系が暴走してしまいそうな気もするが【←いずれも、あくまで個人的な妄想です】、ま、私に限って言えば余命はせいぜい20年、長くても25年であり、免疫系が壊れても壊れなくても別の病気か老衰で死ぬことは確実なので、当面の重症化リスク軽減を優先して接種することとした。

 この時期の接種で厄介なのが服装であった。私のチョイスは以下の通り。
  • ランニングシャツ2枚を重ね着
  • その上に半袖のTシャツ
  • その上にベスト
  • その上にカーディガン
  • その上に防寒ジャンパー
これにより防寒ジャンパーを脱いだ後は、服をまくっただけで接種ができた。翌日2月2日朝の時点では、接種部分に痛みが残る他は特に異状なし。朝の体温は36.4℃で、私の平熱よりは0.5℃ほど高め。

 接種券にはそれぞれのワクチンについての説明文書が同封されていたが、
  • ファイザー:追加接種では、1回目や2回目の接種と比較して、主に脇の下のリンパ節の腫れが多く(5%程度)報告されています。症状は軽く、数日以内に回復することか多いですが、腫れがひどがったり長引く場合は、医療機関を受診してください。
  • 武田/モデルナ:追加接種では、1回目や2回目の接種と比較して、リンパ節の腫れが多く(20%程度)報告されています。症状がひどかったり長引く場合は、医療機関を受診してください。
という違いがあり、素直に読むと、交互接種の免疫原性がどうこういう以前に、ファイザーのほうが副反応が強いという印象を受けてしまう。
 なお私の場合、徒歩圏内のクリニックでの接種を重視したので、ファイザーかモデルナかというような選択の余地は無く、結果的に3回目もファイザーとなった。


2022年2月2日(水)



【小さな話題】令和の寺子屋「生命って何だろう 生物学者・福岡伸一」その2 シェーンハイマー

 昨日に続いて、NHK-Eテレで1月30日の16:15〜17:00に放送された表記の番組についての感想。

 今回は、放送内容から脇道に逸れるが、ルドルフ・シェーンハイマー(1898〜1941)の話題。
 シェーンハイマーは、ネズミが食べる餌に特別の印をつけて、摂食後に体内にどのように移動するかを調べたところ、食べ物の分子は体のあちこちに取り込まれる一方、ネズミの体を構成していたそれと同じ量の分子が分解され排出されていること示したということであるが、生命についてはどのような考えを持っておられたのだろうか?
 ネットで検索したところ、青空文庫に、

生体構成物質の動的状態(水上茂樹訳)

が無料で閲覧できることが分かった。内容はかなり専門的で私には理解困難であったが、いちばん最後のところには、
 燃焼機関の比喩は燃料が絶えず固定したシステムに流れこみ燃料が燃えて老廃物になる図式を描いている。ここに示した新しい結果は燃料だけでなく構造材料もまた流れている定常状態にあることを示している。古典的な図式は身体構造の動的状態を説明するもので置換えなければならない。
 生体についてのこの概念は不完全ではあるが単純な比喩として軍隊の例をあげることができる。このような隊の1つは幾つかの点で成熟した生体に似ている。その大きさは狭い範囲でのみ変化し高度に組織化された構造を持っている。他方ではこの隊を構成する個人は絶えず変化している。人員は加わり職務が代わり昇進したり降職し、いろいろな兵役期間の後に最終的には去ることになる。入るものと出るものとの人の流れは数値的に等しいが構成は変化する。入隊者は食物のようなものである。退役と死は排泄に相当する。
 この比喩は生体構造の動的状態のある面だけしか語っていないので必然的に不完全である。構造単位の絶えることのない置き換えを記載してはいるがそれらの相互作用については論じていない。
 生体内の生化学物質における原子の配列に関与する力についての問題は今でも実験室における研究の及ぶところではない。
という軍隊の比喩が挙げられており、この部分は分かりやすい。要するに、生体は高度に組織化された軍隊のようなもの。軍隊を構成する兵士は常に入れ替わっていくが高度に組織化された軍隊そのものは維持されるというものだ。但し「この比喩は生体構造の動的状態のある面だけしか語っていないので必然的に不完全である。」とも述べられており、比喩が一人歩きしないよう注意が必要だ。

 日本では、シェーンハイマーについては殆どが福岡先生の講演の中で語られているので、どこまでがシェーンハイマーのアイデアで、どこから先が福岡先生の新たな知見なのか、よく分からないところがある。ウィキペディアでは、シェーンハイマーと福岡先生の提唱する「動的平衡」との関係については、以下のように記されている(但し、要出典という但し書きつき)。
【福岡伸一は】ルドルフ・シェーンハイマーの提唱した「生命の動的状態 (dynamic state)」という概念を拡張し、生命の定義に動的平衡 (dynamic equilibrium) という概念を提示し、「生命とは動的平衡にある流れである」とした。生物は動的に平衡な状態を作り出している。生物というのは平衡が崩れると、その事態に対してリアクション(反応)を起こすのである。そして福岡は、(研究者が意図的に遺伝子を欠損させた)ノックアウトマウスの(研究者の予想から見ると意外な)実験結果なども踏まえて、従来の生命の定義の設問は浅はかで見落としがある、見落としているのは時間だ、とし、生命を機械に譬えるのは無理があるとする。機械には時間が無く原理的にはどの部分から作ることもでき部品を抜き取ったり交換することもでき生物に見られる一回性というものが欠如しているが、生物には時間があり、つまり不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度おりたたんだら二度と解くことのできないものとして生物は存在している、とした。
 なお、シェーンハイマーは1941年、シアン化合物で自殺している。福岡先生は、こちらの講義の中で、
シェーンハイマーは今から約70年前に、この問いに明確な答えを与えてくれました。しかし、彼はノーベル賞をとったわけではなく、教科書でその名を見ることもまずありません。1941年、あらゆる報償から見放されたまま、彼は43歳で謎の自殺を遂げました。しかし、私はシェーンハイマーが20世紀最高の生物学者だと思っています。
というように「謎の自殺」としているが、ウィキペディア英語版では、
He suffered from manic depression all of his life, which led to him in 1941 committing suicide using cyanide. He had been honoured with the request to give the Dunham Lecture at Harvard before his death. It was read for him following his death.
と記されており、長年にわたり鬱病を患っていることから、このことが引き金となった可能性が高い。


 次回に続く。