じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



02月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る


 2月1日は旧暦の1月1日。写真は金星と日の出の写真。旧暦ではこれが初日の出となる。


2022年2月1日(火)



【小さな話題】令和の寺子屋「生命って何だろう 生物学者・福岡伸一」その1「秀吉のうんち」

 NHK-Eテレで1月30日の16:15〜17:00に放送された表記の番組についての感想。

 去年11月、京都の醍醐寺で行われた「令和の寺子屋」というプロジェクトの一部を紹介したものであり、生物学者の福岡伸一先生が講師をつとめておられた。受講生は京都に住む24人の小学生。

 放送の初めのところでは、福岡先生から、

●豊臣秀吉は、1598年4月にこの醍醐寺で花見をしたが、秀吉も人間なので、その時には、うんちやおしっこをした。そのうんちは巡り巡って君たちの体の一部になっている。

という話があり、境内の土壌観察が行われた。続いて醍醐寺の建物内で、アルバート・ツルグレン(1874〜1958)が考案した「ツルグレン装置」を使って、土壌生物の観察が行われた。ダニは世界中で4万種類ほどいるが、殆どのダニは人間を刺したりせず、土壌の中で腐葉土や小さな虫を食べてひっそりと暮らしているという。

 そのあと、いよいよ、「豊臣秀吉の体の一部がみんなの体の一部にもなっている」について説明が行われた。ルドルフ・シェーンハイマー(1898〜1941)は、「食べる」ということはどういうことかを科学的に突き詰めて研究したという。シェーンハイマーが、ネズミが食べる餌に特別の印をつけて、摂食後に体内にどのように移動するかを調べたところ、食べ物の分子は体のあちこちに取り込まれる一方、ネズミの体を構成していたそれと同じ量の分子が分解され排出されていることが分かった。体の中で一番早く変わっているのは消化管であり、2〜3日で入れ替わっているという。うんちの主成分は別に食べかすが出ているのではなく、自分自身の消化管がボロボロ剥がれ出して捨てられていると説明された。なので、トイレに行ったら、自分のうんちに「ありがとう、さようなら」と言わなければいけないという。

 上記の「うんちの主成分は別に食べかすが出ているのではなく、自分自身の消化管がボロボロ剥がれ出して捨てられている」というのは少々大げさであり、例えば繊維物質を多く含むものを食べれば大部分は未消化のまま排出されるのではないかと思ったが、放送では「じつはうんちは、水分を除けばその1/3は消化管が壊れた細胞」であると説明された。おしっこのほうは、もちろん、水分を除けばほぼすべてが老廃物であり、便秘と異なり尿が出なくなると命に関わる一大事になってしまうことはよく知られている。

 もとの話に戻るが、秀吉のうんちは微生物分解され、植物に吸収され、それを食べた人に取り込まれる、というのが最初の話題についての解答であった。




 そのあと、福岡先生の簡単な略歴が説明された。福岡先生は1959年に東京生まれ、幼い頃は虫を捕まえては観察する昆虫少年であったという。小学生の時、サナギが蝶に変わる姿に衝撃を受け生命の不思議に魅せられたという。その後科学者をこころざし博士号を取得、さらにアメリカのロックフェラー大学にわたり分子生物学の道へ進まれた。ミクロの世界を極めるほどに、生命とはいったい何か、生き物はなぜ死ななければならないのか、大きな疑問が立ちはだかってきた。どんなに研究を進めてもすべては解明されることのない根源的な問い、そこに向き合うために福岡先生は独自のアプローチで生命の謎を問い続けており、ユニークな視点で書かれた著書は大きな話題を呼び数々のベストセラーを輩出した。
 福岡先生のことは生物学者 福岡伸一教授_botというツイッターをフォローさせていただいているので、ある程度は存じ上げていたが、今回、改めてウィキペディアを参照したところ、実は、私と全く同じ大学・学部・学科に私より7年あとに入学しておられたことが分かった。私自身も東京生まれであり、幼い頃は庭の昆虫を捕まえたり観察することを一番の楽しみにしていたので結構共通点があったようだ。もっとも私の場合は、2年目から文学部に転学部してしまったので、直接お会いしたことは一度も無い(←生協食堂あたりで隣の席に座っていたことはあるかもしれないが)。

 次回に続く。