じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 各種報道によれば、南太平洋のトンガの火山島で日本時間の15日午後、大規模な噴火が発生し、1月16日07時現在、日本各地でも津波警報や津波注意報が発出されている。
 画像は、気象衛星ひまわりで撮影された噴火の様子。13時30分の画像で、突然、噴火を示す小さな円が現れ、その後急速に拡大した。画像の一番下は、同じ縮尺の日本列島。北海道がすっぽりおさまるほどの噴煙に覆われていることが分かる。
 日本から遙かに離れたトンガの噴火で、なぜ日本の沿岸に津波が押し寄せてきたのか、また途中の観測地点よりも日本に近づいてから後の方が大きな津波になったのか、大きな謎である。
 そもそも大規模な地殻変動ではなく、遠方の火山噴火だけでこのような津波が起こるとは思いも寄らなかった。カルデラ噴火により海水面が大きく変化したということだろうか。


2022年1月16日(日)



【小さな話題】早くも半月が過ぎる

 2022年1月が早くも半月過ぎてしまった。歳をとればとるほど時間の流れが速く進むように感じると言われるが、この半月も瞬間と言ってもいいほどの短さで終わってしまった。

 今年の年末年始の特徴としては、
  • 12月30日から1月7日まで、妻の実家のある北九州に帰省。年末の時点ではコロナの感染者数はわずかであったが、年明けに急速に拡大。北九州から岡山に向かう帰路は、感染者が急増している山口県、広島県内を通過する必要があったが、必要最低限のトイレ休憩を除いて、SAにはできるだけ寄らずに通過した。
  • 妻の実家では90歳代の義母が暮らしている。今のところ、かろうじて自立した日常生活を送っているが、昨年来物忘れがひどくなり、最近では孫や曾孫の人数、名前、性別は殆ど忘れてしまっている。私たちが、いつから帰省し、いつどのようにして岡山に戻ったのかということもすぐに忘れてしまったようである。このまま来年も同じように正月を迎えるのは難しい。
  • 私自身の子どもたちや孫たちは、今回も帰省を取りやめたが、LINEのビデオ通話などで様子を伝え合うことができた。
  • コロナ感染防止のため、北九州到着時の夜にスーパーに立ち寄った以外は、年末年始は人混みが想定される場所にはどこにも行かなかった。
  • 日々、近隣の住宅街のウォーキングに出かけた。
  • 1月8日以降の一週間は、前年とほぼ同じ日課をこなし、半田山植物園へのウォーキングは早くも7回となっている。

 最近特に力を入れているのが、終活の一環としての物品整理である。
  • 年末までに、テレビ番組などを録画したDVDを大量に処分(2021年12月28日の日記参照)。
  • VHS、DVCなどに記録していたホームビデオは、すでに、DVDやBD、パソコン用のmpeg4などに移し変えているが、今回、元のテープをすべて廃棄した。音楽用のカセットテープもほぼ廃棄を完了。
  • 最近は、HDDに録画したテレビ番組は、よほどの理由が無い限りはダビングせず、見終わったら削除している。経験的に言って、ダビングしたからといって、後日それを見ることは殆どない。
 このほか、
  • この日記で「連載」として執筆している話題について、こちらのリストを補充。
  • 過去の海外旅行の写真は、古い順番に少しずつ再編集している。現時点では、1999年8月のイラン皆既日食のアルバムを更新中。
などとなっている。これらは、自分自身の考えをまとめたり、旅行の思い出を残すための作業であり、他の方からのアクセスの増減などは全く気にしていない。

 終活の最終的な到達点は、自分自身が納得のいく形で自分の存在をゼロにすることで良いのではないかと思いつつある。旅行のアルバムサイトとか連載記事などは、別に、後世に何かを残す目的で作っているわけではない。まさに自己満足であるが、自分の中で完結できればそれでよいと思っている。

 ま、このあたりはもう少し深く考えていく必要があるが、自分をゼロにしていくというのは、大概の場合は、自分が持っている何らかのプラスの存在を他者に伝えたり譲ったりすることで達成できる。時には株式の自社株消却のような場合もあるかと思うが、具体的にどうなっていくのかは、自分や家族の健康状態にも影響されるので何とも予想はできない。