じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 昨日の日記で岡山ロイヤルホテルの解体工事(リフォーム工事?)の話題を取り上げたが、同じ時期に進行していたOHK旧社屋の解体工事のほうはすでに完了しており、敷地内は瓦礫の山となっていた。
 当然ながら、「岡山タワー」のライトアップはもはや見られない。

2021年12月27日(月)



【連載】チコちゃんに叱られる!「土鍋」「笑顔の写真とニコニコ主義」

 昨日に続いて、12月24日に放送された表記の番組についての感想と考察。この回は、「今夜はクリスマスイブ!豪華拡大版スペシャル」で1時間12分にわたって放送された。本日は4と5.について考察する。
  1. なぜクリスマスにチキンを食べる?
  2. 1日の始まりはなぜ真夜中?
  3. チコの部屋:3種類の動物を寿命の長い順に並べる
  4. なぜ今でも鍋料理には土鍋を使う?
  5. 日本人が写真を撮るとき笑顔になるのはなぜ?


 まず、4.の土鍋については、「ジンバブエにいい石があったから」と説明された。もともと土鍋は、保温性があるため古くから重宝されていたが、昭和30年代になりガスコンロが普及すると、熱膨張により割れやすいという問題が生じた。三重県四日市の陶器メーカーの榊原孫七と森晃一は、アメリカの論文にヒントを得て、ペタライトが入った土鍋を開発し、1959年に発売を開始した。ジンバブエの石というのはベタライトのこと。榊原さんたちは火にかけて割れたときは新品と交換しますという保証書まで付けて販売したところ、従来より2倍近い価格であったにもかかわらず大ヒット。また榊原さんは特許を取らず土鍋作りのノウハウを他社に教えたため普及が進んで。こうして昭和40年代から再び土鍋の需要は伸び、現在の日本の土鍋は8割が四日市で生産されているという。

 上記の開発過程はこちらで詳しく解説されており、
以前使われていたセラミックス製の加熱調理用容器は,粗粒の石英を含む粘土質の土鍋,行平などであったが,F. A. Hummelの論文がきっかけとなって,1950年代にリチア系(Li2O−Al2O3−SiO2系)の土鍋が三重県の陶磁器メーカーで開発された. これは,原料としてアフリカのジンバブエや南米のブラジルなどで産出するリチウム鉱物のペタライトを用いたもので,その優れた耐熱衝撃性から,家庭用,業務用で多く使用されるようになった.
 なお我が家にもかつてベタライトを含む土鍋があったが、IHのコンロを使うようになった時に廃棄した。(IH対応の土鍋もあるらしいが)。
 ここからは私の感想になるが、もとの疑問の「なぜ今でも鍋料理には土鍋を使う?」という理由に限れば、「保温性があるから」に尽きるのではないかと思う。ベタライトは、あくまで土鍋の欠点を補うための素材であり、いくら割れにくくなったといっても、土鍋に保温性というメリットがなければ、使われ続けることはないだろう。




 最後の4.の日本人が笑顔になって写真を撮るという理由だが、番組では「ニコニコ主義があったから」と説明された。「ニコニコ主義」というのは全く初耳であり、ウィキペディアにも該当項目はないが、提唱者牧野元次郎についての若干の説明が掲載されているだけであった。

 幕末に日本で写真が撮影されるようになった当初は、男性は公の場では威厳を保つため笑うことはせず、女性も口元を押さえて笑う習慣があった。そもそも当時の写真は露光時間が約2分間も必要で、そのあいだじっとしていなければならず笑顔をキープするのが難しかったとも言われている。
 笑顔の写真が撮られるようになったのは、牧野元次郎が「ニコニコ」という雑誌を発刊。笑顔の写真が多数掲載されたのがきっかけで日本全国に笑顔の写真が増えたという。この経緯は、

●岩井茂樹(2020).「笑う写真」の誕生. 日本研究、61、45-67.

で論じられている。なお、この紀要論文はネットから無料で閲覧できるが、リンク先の論文には「雑誌『ニコニコ』の役割」という副題が付けられているのに対して、番組で紹介された当該論文の1ページ目の画像は副題が見当たらなかった。なぜ番組画像で副題部分が表示されていないのかは大きな謎である。

 さて、牧野元次郎は、ニコニコ倶楽部という組織を結成し「世の中のことはすべてニコニコ的に解決する。平和も成功も皆、このニコニコ主義より生じるものと信じる』というニコニコ主義を唱えた。今回、この番組を通じて初めて目にしたが、雑誌『ニコニコ』には、渋沢栄一、乃木希典、夏目漱石、与謝野晶子などの貴重な笑顔の写真が掲載されていた。なかでも夏目漱石の笑顔はがこれが唯一の写真であるというからスゴイ。
 雑誌『ニコニコ』は発行部数7万部で、当時の人気雑誌『婦人世界』の8万部に迫る勢いであったという。

 ここからは私の感想・考察になるが、まずCiNiiで検索したところ、『ニコニコ』という雑誌は、1911年から1917年に発行されており、81号まであることが分かった。オンラインで閲覧できるかどうかは未確認。

 笑顔の写真自体は、「はい、チーズ」に相当する声かけが世界各地にあることから(2019年5月4日の日記参照)、戦後の日本人が笑顔で写真を撮ることと、「ニコニコ主義」がそれに影響を与えたかどうかという点は別問題であるように思う。但し、明治から大正にかけての時期に、それまでのしかめ面から笑顔の写真が定着するようになった背景に雑誌『ニコニコ』があったことは確かであろう。