じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 11月18日早朝、天頂付近に珍しい形の雲が浮かんでいた。2つに分裂した巨大彗星のようにも見える。

2021年11月19日(金)



【小さな話題】1964年には何があったのか?(3)建設と破壊/2021東京五輪との比較

 昨日に続いて、11月15日に再放送された、NHK「映像の世紀プレミアム第15集 東京 夢と幻想の1964年」【初回放送2020年1月3日】の感想。

 番組では、1964年東京オリンピックが、敗戦から19年、復興をとげた日本を世界に示した一大イベントであったことが様々な映像を通して強調されていた。
 今でもなお現役として活躍している東海道新幹線、東京モノレール、首都高速道路などは、東京オリンピックに間に合うように作られたものであった。また、スイス以外のメーカーでは初めてSEIKOの時計がオリンピックの公式時計に採用されたり、国産機YS11が実用化されるなど、当時流行した坂本九の「明日があるさ」(青島幸男作詞、中村八大作曲)の歌に象徴されるように、時代は高度成長経済のまっただ中にあり、みな明日があることを信じて夢中になって働いていた。そのいっぽう、そうした新しいものを作るために、日本橋の景観を台無しにした高架、佃大橋建設による渡し船の廃止、お化け煙突取り壊し、...というように江戸、明治〜昭和初期の頃の風情はすっかり失われてしまったが、時代の潮流には逆らえず、保存を求める反対運動のようなものは殆ど起こらなかったようであった。首都高は民有地をできるだけ避けて、河川や一般道の上に高架で作られたため、反対の動きがまとまりにくかったようにも思われた。

 私自身は、世田谷区で生まれたため、すぐ近くに造られた環七の影響をモロに受けた。閑静な住宅街であったところが、深夜でも車の騒音が止まず、また、排気ガスで目や呼吸器を傷めることもあった。もっともその後の排気ガス規制のおかげか、最近では環七沿いの歩道をウォーキングしても悪影響を受けることは殆ど無くなった。

 番組では他にもいろいろな話題が取り上げられていたが、とにかく1964年の東京オリンピックを通して、世界が日本を見る目は変わり、また多くの日本人が自分たちの技術力に自信や誇りを持てるようになったことは確かだったのかもしれない。

 こうしてみるとどうしても比較したくなるのが2021年の東京オリンピックである。新型コロナの大感染という想定外の出来事に振り回されたことは斟酌すべきではあるし、さまざまな種目で日本人選手が活躍したことも確かではあるのだが、2021オリンピックによって日本人の何が変わったのか?と言われても、私には何かを思い浮かべることができない。ま、大感染の中で大過なくやり遂げたということは大きな成果ではあるだろうが、別段、日本人が一致団結して大会成功のために協力したというわけでもないし、大会の前と後で景色が大きく変わったわけでもない。
 もうすぐ年末を迎えることになるが、この1年を振り返り印象に残ったことを挙げてくださいと問われた時に、東京オリンピックをトップに挙げる人がどのくらいおられるのかも分からない。少なくとも私は、新型コロナの大感染のほうを挙げることになるだろう。