じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 新型コロナの新規感染者数が減少しているので、このチャンスを逃さずに妻の実家に帰省しようと考えているところであるが、気になるのは全国的には沈静化しているものの、岡山と北九州に限ってなぜか感染者の比率が高いということである。
  • 岡山では人口10万人あたりの直近1週間の感染者数がダントツ1位の3.28人。
  • 11月17日の岡山県の新規感染者数は17人。
  • 11月17日の北九州の新規感染者数は9人。福岡県全体10人のうち9割を占める。
この時期、岡山県で特殊な気象条件や人流があったとは考えられない。なぜ全国一の感染率になってしまったのだろうか。

2021年11月18日(木)



【小さな話題】1964年には何があったのか?(2)ゴミ事情、売血

 昨日に続いて、11月15日に再放送された、NHK「映像の世紀プレミアム第15集 東京 夢と幻想の1964年」【初回放送2020年1月3日】の感想。

 番組の最初のほうでは、1964年1月10日に行われた一斉清掃活動の映像が流れていた。当時、東京では毎月10日が「首都美化デー」と定められており、婦人会などの呼びかけで2万人が参加したとのことであった。番組によれば当時の東京は世界でも指折りの汚れた町であり、1961年に撮影された、道の脇や川へのゴミ投棄、公園や公衆便所での吸い殻や容器のポイ捨てなどの映像が流れていた。ある清掃員は「いろんな物を捨てないようにということはたびたび注意してあったわけですが、これもう平気でやっとるわけですね。だいたい日本人というのは非常に物をポイポイ捨てる癖があると、これは日本人の一番悪い癖ですね」と語っていた。

 当時のゴミ事情については記憶ははっきりしていないが、強風の日などには紙くずがコロコロと路上を転がっている光景は確かにあったと思う。
 1964年だったかそれ以前だったかはっきり覚えていないのだが、私が子どもの頃の生ゴミは、最初は木製のゴミ箱、その後大型のポリバケツに入れて、定期的に収集されていたように思う。もっとも私の生家では、
  • 生ゴミは庭に穴を掘って堆肥化
  • 燃えるゴミは風呂焚き
  • 不燃物のうち空き缶や瓶は、収集業者が引き取り
としていたので、ゴミ収集の世話になったのは風呂釜を石炭式からガス式に切り替えた後のことであった。なお、当時はプラスチック製品はまだ少なく、またそれらを風呂釜で燃やすとカスがこびりついて支障をきたすことから、できるだけ燃やさないようにしていた。

 番組の中程では、ライシャワー駐日大使がナイフで刺されるという事件が取り上げられていた。大使の怪我自体は命に別状があるほどでは無かったが、治療の際に輸血を受けたことで血清肝炎になった。当時の輸血は売血でまかなわれており、そのうち2割近くは肝炎ウイルスに汚染されていたという。売血の場所は「血液銀行」と呼ばれており、売血者は比重検査を受けたのち、1本200ccで550円、今の物価で3000円ほどの報酬を受け取った。血を売る人たちの多くは工事現場で働く日雇い労働者であり、オリンピックの関連工事はこうした人たちの力に頼っていた。
 ウィキペディアによれば、
1964年以降売血は急速に減り、1968年には売血由来の輸血用血液の製造が終了した。民間血液銀行の預血制度は存続したため、預血制度が廃止され輸血用血液が完全に献血由来のものに切り替わったのは1974年のことである。
と記されていた。

 不定期ながら次回に続く。