じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 8月14日8月15日の日記で、北海道と沖縄を除くすべての府県の当日の天気予報から晴れマークが消えた、という話題を取り上げた。朝5時50分過ぎの気象情報によれば、8月21日もまた当日の天気予報から晴れマークが消えていたが、雨よりは曇りマークが多くなっており、大雨の地域も無さそうであった。
 ちなみに8月12日から8月21日までの日照時間は10日間の合計でわずか3.6時間。1日平均にすると20分足らずに過ぎない。農産物への悪影響が心配される。

2021年8月22日(日)



【連載】世界四大化計画:「世界を1つにした三大発明」と海上コンテナ/「世界三大無謀な計画」とコラ半島超深度掘削坑

 昨日に続いて、8月16日の夜にNHK総合で放送された、

世界四大化計画〜Mr.ザッハトルテの野望〜

という番組の感想と考察。なおその後に入手した情報によれば、この番組の2回目は9月10日に放送される見込み。また、副題の「ザッハトルテ」は「オーストリアのホテル・ザッハーおよび洋菓子店・デメルで提供されている菓子(トルテ)」由来のようだが、なぜこの名前が借用されたのかは不明。

 本日は、
  1. 世界三大神秘湖
  2. 世界を1つにした三大発明
  3. 世界三大無謀な計画
という3つの話題のうち2.と3.について考察する。

 まず、2.の三大発明だが、単に「発明」という区分では火薬、羅針盤、活版印刷が挙げられているようである。しかし今回は「世界を1つにした」という但し書きがついており、羅針盤のほかは、飛行機とインターネットが選ばれていた。

 さて、今回、追加が提案された「四大」は「海上コンテナ」であった。コンテナは世界各地で企画が統一されており、大は40フィート、小は20フィートとなっているという。この40フィート、20フィートというのがどこの部分の長さなのかよく分からなかったが、ネット上には各所で正式な寸法が紹介されており、長さ×幅×高さの外寸は
  • 20フィート型:6058×2438×2591mm
  • 40フィート型:12192×2438×2591mm
となっている。このほか高さが2896mmのハイキューブタイプというのもあるようだ。ちなみに1フィートは0.3048メートル(304.8mm)なので20フィートは6096mm、40フィートは12192mmとなっていて、40フィート型では外寸の長さとピッタリ一致する。20フィート型の長さは若干短めであり、インチ表記でも239インチとなっていて1インチ足りないが、なぜそうなったのかは番組では説明されなかった。
 コンテナと複合一貫輸送プロセスとなるインターモーダル輸送は、1956年、マルコム・マクレーン(番組では「マクリーン」)によって開発された。
 ウィキペディアによれば、コンテナには、積み替えの迅速化など11点ほどのメリットがある。そのいっぽう短所としては、規格に適合した設備が必要であること、輸出入を禁止している物の臨検が難しいこと、時には不法入国に使われるといった点が挙げられていた。




 最後の3.の「世界三大無謀な計画」には、「氷山空母」、「地中飛行機」、「バイオスフィア」が挙げられていた。この中では、「地中飛行機」の話が面白かった。東京大学の故・佐藤浩名誉教授が提唱した計画であり、札幌、仙台、東京、大阪、広島、福岡を結ぶ地下40メートルのトンネルを掘り、その中に旅客機を飛ばすというもの。空を飛ばすよりも各段に省エネとなる。旅客機はトンネル内を高さ1メートル、時速600kmで飛ぶことになっており、5年にわたる研究(最終モデルは1999年9月〜の「とびもぐら6号改」)で理論的には可能であることが分かったが、トンネル工事にかかる40兆円がネックとなり実現には至らなかったという。

 さて、これらに追加された「四大」は、旧ソビエトで行われた「コラ・スーパーディープ・ボアホール」というものでウィキペディアではコラ半島超深度掘削坑」という項目で説明されていた。1970年5月24日に始まり、最も深い地点は1989年に到達した12262メートル。今なお地球上で最も深い人工地点であるとされている。

 この計画は、一旦休止となり、掘削のパイプを引き抜こうとした時にパイプが折れてしまい、地下7000メートルから別の方向に掘削。この時の記録は、番組では12261メートルであった【たぶん上記の最深記録と同じだが、なぜ1メートルの違いが生じた原因は不明】。その後、地熱が予測を超えて上昇し、対応策を講じていたが、1994年に資金枯渇により計画中止となった。

 当時の採掘現場は今では廃墟化しているが、ユーリ・スミルノフという科学者(当時は分析を担当)が現場近くに住み続き、研究の成果を展示する博物館建設をめざしていたが2018年に亡くなられたという。

 ところでこの話を聞いたとき、突然「モホール計画」という言葉が私の頭をよぎった。検索したところ、確かにモホール計画は実在し、こちらのほうは一定の成果が得られたようだ。また、日本ではちきゅうによる探査が行われており、種々の成果を挙げているようである。

 ここからは脇道に逸れるが、上記の「モホール計画」という名前は、小学校高学年の頃、子ども向けの科学本で知ったのだが、中学以降現在に至るまでその言葉を耳にしたことは無かった。にもかかわらずこの言葉が浮かんだということは、12歳頃までの記憶が脳のどこかにいっぱい残っていて、何かの手がかりがうまく働けばちゃんと思い出せるということを示しているようにも思われた。そう言えば、幼稚園や小学校の頃のアルバムを見ると、一緒に写っている友だちの名前は今でもちゃんと思い出せる。子どもの頃の記憶の痕跡というのはスゴいものだと改めて感じた。