じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 「接写で楽しむ雑草の花」。今回はスズメノエンドウ。3月28日掲載のカラスノエンドウに比べると遙かに地味で小型だが、カラスノエンドウの近くでちゃんと繁殖しており、カラスノエンドウとの生存競争で駆逐されることはなさそうだ。

2021年4月1日(木)




【連載】又吉直樹のヘウレーカ!#105「ボクも100歳まで生きられますか?」 その2

 昨日に続いて、 3月17日に初回放送された、「又吉直樹のヘウレーカ!」:

#105最終回シリーズ この”なぜ”は止まらない!「ボクも100歳まで生きられますか?」

の感想と考察。

 番組のなかほどでは、健康寿命に関連して、又吉さんが「高齢者疑似体験スーツ」を着用し、高齢者の生きにくさを体験された。日本人の健康寿命は、男性72.14歳、女性74.79歳と言われており、平均寿命との差、つまり、健康ではない状態で生き続ける期間が、男性で9.27年、女性で12.66年ほど続くことになる。
 これらは、現在0歳の赤ちゃんを基準にした値であり、いま70歳になっている人の平均余命や平均健康余命はもっと長いと思われるが、いずれにせよ、私自身もあと5年以内には、いろいろな身体的不自由、場合によっては精神的な問題が生じてくる可能性がある。
 もっとも、だからといって、24時間365日、健康寿命を延ばすためだけの生活(アンチエイジングに役立つような諸行動)をしていたとしたら、手段と目的が入れ替わってしまう。例えば、健康寿命を延ばすという目的だけで一日の大半の時間をリハビリに費やすというのでは、何のための人生なのか分からなくなる。
 5年以内に想定される身体的不自由についても、それがどういう形で生じるのかは全く予測できない。歩行が困難になるのか、手先が不如意になるのか、歯が抜けていくのか、耳が聞こえなくなるのか、目が見えなくなるのか、...ある程度の備えは必要だろうが、なってみてから対処するほかはないという気もする。

 番組では続いて、腹囲が85cmを超えると色が変わるアラートパンツが紹介されたが、腹囲が増えればズボンや下着がはけなくなってしまうので、わざわざアラートパンツに頼らなくてもメタボ防止はできるように思われた。
 続くストリート・メディカルの話題は、コップの形と量の保存に関する例(細くて背の高いグラスのほうが量が多く見えるため、飲酒量が少なくなる?)が妥当かどうかイマイチよく分からなかったが、病気や治療を前提とした医学から予防や健康増進の医学、という趣旨はその通りであろうと思った。
 以上に関連して「1健康年」とか、「5年間の健康を保証するサプリがあったらいくらお金を払うか」という話題があった。2014年の中央社会保険医療協議会の資料によれば、健康な1年の対価は300万〜400万円であるという。ま、お金があればいくらでもつぎ込めるが、10年、20年と払い続けることはなかなか難しそうだし、そういうお金があれば、もっといろいろな体験に投資したいという気もする。

 又吉さんが言っておられたように、寿命という問題がやっかいなのは、自分がいつ死ぬのかという計画が立てられないことにある。あと何年で確実に死ぬと分かっていれば、死ぬまでに旅行に行くとか、それなりの終活ができるが、それよりもっと早く死ぬこともあれば、ずっと先まで生き続ける可能性も無いわけではない。

 番組の終わりのところでは、寿命の格差問題が取り上げられた。世界の国・地域別の平均寿命を比較すると、上位10か国の平均寿命と下位10か国の平均寿命では23歳もの違いがあるという(WHOの2020年統計に基づく)。気候変動の影響などから、2050年には数千万人単位の難民が出たり、資源不足をめぐって戦争が起こるという予測もあるという。
 要するに、いまの世の中では、若いうちは不自由な中でも一生懸命働き、歳をとって引退した後にはいろんな自由を取り戻して悠々自適の生活ができるというライフスタイルが描かれているが、それを可能にしているのは、若い世代や発展途上国の人たちを働かせるという、自由主義社会の格差にあることは確かであろう。もちろん、すべての人が若いうちは高齢者を支える分まで含めて働き、一定年齢に達すれば次の世代からの支援を受けるという「恩送り」のサイクルが確実であるならそれでよいかもしれないが、少子化や世界規模での資源不足が深刻となれば、そういう「労働→悠々自適」という2段階モデルは成り立たなくなるだろう。
 高齢者の残りの人生には関係ないといっても、20年後、30年後、50年後のために何らかの貢献をしていくことも、高齢者の生きがいの柱の1つとすべき時代なのかもしれない。