じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 半田山植物園には休園日を除いてほぼ毎日入園しており、今年の正月から11月1日までの入園回数は220回となった
 すっかり葉を落としたソメイヨシノの並木を見ていると、真夏に競い合って鳴いていたセミたちのことが思い出される。今年はYouTubeにセミの鳴き声の動画を投稿したこともあり、どの場所でどういうセミが鳴いていたのかも記憶に残っている。
 ときおり野鳥のさえずりが聞こえるだけで静まりかえった園内を歩いていると「セミたちはよく頑張った、ちゃんと役割を果たした」という感慨にふけるところがある。
 しかし、某家族にそのことを話したところ、「セミは頑張っていない」という反論がかえってきた。某家族は別段、擬人的表現を批判したわけではなく(こちらに関連記事あり)、「セミは、単にセミとしてセミらしく生きただけだ」ということを言いたかったようである。
 老化が進む私の場合も、別段、頑張って生きる必要はなく、年寄りとして年寄りらしく生きていけばよい、ということになるか。

2020年11月1日(日)



【連載】「刺激、操作、機能、条件、要因、文脈」をどう区別するか?(35)1991年のHayes論文(6)基礎研究と応用研究における「広さ」や「深さ」

 10月29日に続いて、

Hayes, S. C. (1991). The limits of technological talk. Journal of Applied Behavior Analysis, 24, 417-420.

についての考察。

 前回も述べてきたように、いくら「正確さ (precision)」を重視しても、視野が狭く、深さがなく、構成(系統牲と首尾一貫性)が貧弱では、役に立たない。このことについて、5点に分けて論じられているが、1番目については前回言及した通りである。

 続く2番目のところでは、広い視野を持った科学的な言明が、新しい技術を系統的に発展させる手段として必要であると論じている。ここでは、常識だけでは発明や創造には繋がらないこと、理論から導き出された、常識外れの着想が、技術を創造する源になっていると指摘されている。

 3番目のところでは、正確さは抜群だが、視野の狭い言明が増えると、科学はますます無秩序で支離滅裂になると指摘されている。

 4番目では、広い視野なしには、行動分析学による裏付けを維持することはできないと論じされている。このパラグラフには、行動分析学についてのHayes先生の基本姿勢が記されている。
In my view, behavior analysis is that part of science studying whole organisms interacting in and with a context, and seeking the development of an increasingly organized set of empirically verified verbal rules permitting the description, prediction, control, and interpretation of these interactions with precision, scope, and depth.
ここでは、文脈概念(“in and with a context”)がしっかり取り込まれているが、この1991年の段階では、よく言われる「予測と影響」ではなく「予測と制御(control)」という表現になっており、

●正確さ、広さ、深さを備えた、「記述、予測、制御、解釈」を可能にする言語構成物をつくり出すこと

が行動分析学の目的であるとしている。

 最後の5番目のところでは、
Unless applied researchers show an interest in basic theoretical development, many key basic questions will never be asked. Even if applied behavior analysts carefully kept up with the basic research literature, it would not be enough.
として、応用行動分析学の研究者が行動分析の基礎理論に目を向けるべき必要性を論じている。興味深いのは、
Science is a social enterprise, subject to fads, fancies, and notable blind spots. Often, when research issues disappear, it is not because they have been solved. They simply were dropped. They went out of fashion. Other research issues are never raised, even if they might be important.
という部分である。私もかれこれ50年近く心理学にかかわってきたが、ある研究テーマが注目され、多数の研究者がそれに取り組むという繰り返しはあったものの、それが解明されて次の段階に発展したということはあまり無かったように思われる。また、少し前にも述べたが、学術雑誌の査読や、修論・博論の審査では、もっぱら「正確さ」のみが基準となり、広さや深さをどの程度追究しているのかについてはあまり考慮の対象になっていなかったような気もする。また、基礎心理学の研究は、もっぱら「正確さ」のみを追究し、狭い範囲の小理論(ある法則が成り立つかどうかといった議論)の中だけに閉じこもって論文数の産出を競っていた、という気がしないでもない。

 不定期ながら次回に続く。