じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



10月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

 ウォーキングコース沿いで見かけたトノサマバッタ。西洋の鎧をかぶっているように見える。

2020年10月26日(月)



【連載】「刺激、操作、機能、条件、要因、文脈」をどう区別するか?(31)1991年のHayes論文(2)Technological to a fault

 昨日に続いて、

Hayes, S. C. (1991). The limits of technological talk. Journal of Applied Behavior Analysis, 24, 417-420.

についての考察。初めのところで、「言語的構成物4つの次元」についてHayes(1978)の引用がある。

Hayes, S. C. (1978). Theory and technology in behavior analysis. The Behavior Analyst, 1, 25-33.

 1978年と言えば、私はまだ博士後期課程の2年生の頃であった【エベレスト街道トレッキングに出かけた記録はある】。Steven C. Hayes先生は、私より4歳だけ年上であり、日本で言えば博士後期課程を修了してオーバードクターでさまよう時代に入っているころかと思うが、「The Behavior Analyst」誌の創刊号にこういう論文を書いているのだからスゴい。ちなみに、私がHayes先生のお名前を知ったのは、

Rule-Governed Behavior Cognition, Contingencies, and Instructional Control.

が刊行された頃であった。分厚い本の編著者になられるくらいだから、私より20歳くらい年上だと思っていたら4歳しか違わないことが分かり驚いたことがあった。

 さてHayes(1991)のほうでは、初めのあたりで、
Science can be divided into four levels of increasing scope (Hayes, 1978): technique (how to do it), method (how to know it has been done), theory (how to talk in a systematic fashion), and philosophy (assumptions about how to view the world).
という記述がある。ここでいう4つのレベルというのは、
  • テクニック(技術):それをどのように実施するか
  • メソッド(方法):実施された内容をどうやって知るか
  • セオリー(理論):体系的にどう伝えるか
  • フィロソフィー(哲学):世界をどのように見るか、について何が前提となっているのか
という意味であり、Hayes(1991)によれば、応用行動分析学の最初の10年間は、理論的発展への関心が失われ、行動の基本原理と結びつけながら介入の効果を語ることがおろそかになっていたという【長谷川による意訳】。その傾向は、1991年の時点では多少改善されているものの、相変わらず続いていると論じられていた。

 なお、この特集号では編集者から「if we are technological to a fault」という課題が与えられているようだ。この「technological to a fault」をどう訳せばよいのか戸惑ったが、

●He is generous [lenient, faithful, honest, hospitable] to a fault. (欠点といってよいほど)寛大(など)すぎる【研究社 新編英和活用大辞典】

といった訳例があることから、「私たちの応用行動分析は、欠点と言ってよいほどまで技術にこだわりすぎていないか?」という意味ではないかと思われるが、見当外れになっている可能性もある。特集号の中には、

Morris , E..K. (1991). Deconstructing “technological to a fault”

や、

Baer, D. J. (1991). Tacting “to a fault”
Mace, F.C.(1991). Technological to a fault or faulty approach to technology development?

というように「technological to a fault」をタイトルに含む論文もいくつかあり、隠居人向けの読み物としてはまことに興味深い。

 不定期ながら次回に続く。