じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 ウォーキング中、クビキリギスが仰向けになってもがいているところを見つけた。よく見ると、脚や触覚に小さい蟻が噛みついていた。まるでライオンの群れが大型草食動物を襲っているような光景である。但し、数匹の蟻に襲われただけでクビキリギスが倒されるとは考えにくい。もともと何らかの原因で弱っていたところに蟻が集まってきた可能性が高い。

2020年10月22日(木)



【連載】「刺激、操作、機能、条件、要因、文脈」をどう区別するか?(30)セッティング事象とは何か?(16)機能的文脈主義からの概念分析(6)新たなガイドライン

 昨日に続いて、

武藤崇 (1999).「セッテイング事象」の概念分析一機能的文脈主義の観点から一. 心身障害学研究, 23, 1313-146.

についての感想。なおこの論文はつくばリポジトリから無料で閲覧できる。

 武藤(1999、141頁)は、論文の最後のところで「メタ概念分析の結果から導き出された新たなガイドライン」として4点を提唱している【以下、長谷川による解釈のため、誤解の可能性もある】
  1. 三項随伴性に基づく介入では影響を及ぼせなかった場合に限って、他の事象の影響の可能性を探る【時間的に離れた事象の影響など】
  2. 既存の分析語との機能的な関係の同定を行うまでは、セッティング事象を分析用語として使用することを控える。
  3. 遠隔的な介入研究の必要性を標榜する際には、セッティング事象という概念の使用を控える【「セッティング事象」として○○を設定した、という記述が、その影響を説明しているかのように誤認されるため】
  4. 三項随伴性による説明が困難のように見られる状況でも、安易に新概念は用いない。


 さて、9月29日の日記で取り上げたように、少し前に行われた

「動機づけ」の行動分析:確立操作の概念の再検討と応用可能性

というシンポでは、田中善大先生の話題提供で、セッティング事象や確立操作の話題提供が行われたと聞いている。伝え聞いたところでは、その中で、

Nosik & Carr (2015). On the Distinction Between the Motivating Operation and Setting Event Concepts. Behavior Analyst, 38, 219-223.【こちらから無料で閲覧可能】

という論文が紹介されていたという。その論文の図1によれば、セッティング事象という用語を含んだ論文・専門書は1982年頃からほぼ同じペースで漸増しており、いっぽう、動機づけ操作(MO)を含む論文・専門書は2001年頃から増加率が増え、セッティング事象を上回るスピードで増加を続けているように見て取れる。セッティング事象という用語を含んだ論文・専門書は1982年頃からほぼ同じペースで漸増しているというのは、一部の領域、おそらく応用行動分析の実践現場などで、「セッティング事象」という概念が根強い支持を受け、かつ重宝されていることを示しているのかもしれない。但し私自身は、実践経験が殆ど無いため、そのあたりの事情はよく分からない。

 ま、このWeb日記でも何度か言及しているように、何かの取組を新しく始めるという時点においては、何が強化子(好子)として機能しているのか、何が弁別刺激として機能しているのか、といったことはまだ定まっていない。その段階での記述は「手続段階」での用語体系に頼らざるを得ないように思われる。「手続段階」での用語というのは、例えば、「三角形を提示した(←但し、被験者がその三角形全体を見ているかどうかは分からない」、「謝礼として5ドルを支払った(←但し、被験者にとって5ドルが強化子(好子)として機能しているのかどうかは分からない」というような記述であり、形態的に定義せざるを得ないところがある。なので、この段階から「既存の分析語との機能的な関係の同定を行う」というのは原理的に困難であるように思われる。もちろんだからといって、形態的に定義された手続段階の用語体系をそのまま理論段階(分析段階)の用語体系にそっくり使うことは弊害をもたらす。

 次に、これは私の持論だが、三項随伴性といっても、微視的なレベルもあれば巨視的なレベルもある。どういうレベルの切り口で捉えるのかによって、影響の有無も異なってくるように思われる。例えば、自転車通勤でも徒歩通勤でもどちらでも通勤できる人がいたとする。健康増進活動の一環として自転車通勤をしている人は、「適度な運動は健康に良い」という番組を見ることで自転車通勤の頻度を増やすかもしれないが、「自家用車の使用は環境汚染につながる」という番組を見ても影響は受けにくい。いっぽう、環境問題に関心があるゆえに自転車通勤をしている人の場合は、「適度な運動は健康に良い」という番組を見てもそれだけで自転車通勤の頻度が上がることはないだろう。これらを分析するには、自転車通勤行動という微視的なレベルではなくて、健康増進活動、あるいは環境保護活動という、巨視的なレベルから機能的関係を分析する必要があるように思う。

 あと、これが最も重大な議論になるかと思うが、そもそも「文脈」とは何か、文脈というのは分析用語なのか、それとももっと大きな括りとしての行動現象の捉え方の姿勢を示す概念なのかという問題があるように思われるが、これについては後日、考えを述べることにしたい。

 不定期ながら次回に続く。