じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 10月4日から、武道館前バス停近くのフレスタ【写真上】がリニューアルオープンになった。いっぽう、妙善寺バス停前の公務員住宅跡地に建設されている天満屋ハピーズ津島店【写真下】が10月21日から開業するとのことだ。
 天満屋ハピーズは岡大から最も近いスーパーとなるため、今後、近隣のコンビニやフレスタとの競合が激しくなるものと予想される。

2020年10月3日(土)



【連載】「刺激、操作、機能、条件、要因、文脈」をどう区別するか?(18)セッティング事象とは何か?(4)Wahler & Fox (1981)の論文

 昨日に続いて、

武藤崇 (1999).「セッテイング事象」の概念分析一機能的文脈主義の観点から一. 心身障害学研究, 23, 1313-146.

についての感想。なおこの論文はつくばリポジトリから無料で閲覧できる。

 論文の135ページからは、セッティング事象の概念分析を行った論文(1981年〜1997年)が年代順に展望されていた。

 最初に紹介されているのはWahler & Fox (1981)の論文【こちらから無料で閲覧可能】であった。当該の論文では、セッティング事象の定義、実証研究の分類(3タイプ)などに続いて、時空間的に近接したものしか扱えない三項随伴性の枠組みに対して、標的行動とのあいだに時間的隔たりがあっても機能するという点でセッティング事象の概念は有用であり、当事者の日常生活における相互作用をより巨視的な視点から把握できる可能性があると指摘されていた【←あくまで長谷川の解釈なので誤解している点があるかもしれない】。

 Wahler & Fox (1981)の論文の終わりのところでは、以下の2つの条件においてはセッティング事象を検討する必要があると論じられていた。この部分は武藤論文の訳だけでは分かりにくいと思われるので、原文(337ページ)を合わせて引用させていただくことにする。
  • (a)If that socially important behavior is not largely controlled by its temporally close stimulus associations, a set-ting event search ought to be initiated.【武藤訳:もし、その社会的に重要な行動が主として時間的に近接する刺激間の結びつきによって制御されていないのなら、セッティング事象に関する調査は開始されるべきである。】
  • (b)If that socially important behavior occurs in settings that are not readily influenced by the ABA researcher, setting event possibilities should be considered.【武藤訳:もし、その社会的に重要な行動が応用行動分析の研究者から容易には影響を受けないようなセッティングで生じるのなら、セッテイング事象の可能性が考慮されるべきである。
 このWahler & Fox (1981)の主張は、当該論文だけを読むとまことにもっともであり、少なくともプラグマティックな観点からは受け入れできそうな気がしてくる。しかし、武藤論文で次に紹介されているMorris(1982)を読むと、そうでもなさそうな点【Wahler & Fox (1981)の主張の問題点】が見えてくる。

Morris,E. K. (1982) Some relationships between interbehavioral psychology and radical behaviorism. Behaviorism,10,187-216.

ところで、このEDWARD K. MORRIS先生【略歴はこちら】だが、私も何度か別論文を引用させていただいたことがある【例えば2017年3月20日の日記】。徹底的行動主義の歴史や哲学的背景を学ぶにはMorris先生の著作は必読かと思う。なお、9月30日の日記でPepperの『世界仮説』に言及したが、上掲の1982年のMorris先生の論文にすでにPepperが引用されていることに気づいた。当該部分【193ページ】は以下の通り。
In keeping with his emphasis on the interactional quality of psychological events, Kantor now calls his approach interbehavioral psychology (Kantor, 1959). Today, his system is better represented by a contextualistic world view (Pepper, 1942, pp. 232-279; Sarbin, 1977; see Reese, in Morris, Hursh, Winston, Gelfand, Hartmann, Reese, & Baer, in press), especially when that view is transactional in orientation (Handy, 1964, pp. 58-60; 1973; Keehn, 1980; Lichtenstein, 1973, pp. 325-331), than by the current manifestation of organicism (Overton & Reese, 1973; Pepper, 1942, pp. 280-314; Reese & Overton, 1970).


不定期ながら次回に続く。