じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 岡大・公式サイトによれば、「9月18日(金)16時に岡山大学の主要建物16か所を爆破する」という内容のメールが届いたことを受け、9月18日の13:00から18:00迄の間、全てのキャンパスにおいて「全学生及び近隣住民を含む学外者の立ち入りを禁止」、「教職員は、警備や連絡などのための必要最低限の勤務体制とし、その他の教職員は自宅待機」、「研究室での研究活動も原則停止」という対応が取られたという。これにより、私自身も当日午後に図書館が利用できないなどの不利益を被ることになった。
 この措置は「警察署と連携しながら大学構内の不審物の確認、不審者への警戒、構内の巡回などによる警備の強化を進めて参りますが、その上で、学生・教職員及び近隣住民を含む関係者の安全を最優先と考えた」上での対応であるとはいうが、ずいぶんと大げさであるように思う。
  • そもそも、今の日本には、建物16ヶ所を同時に爆破できるような攻撃力を持ったテロリストは存在しない。
  • 中東のテロリストの行動を見て分かるように、本当に爆破を計画している者は、わざわざ爆破予告などしない。
  • 「愉快犯は無視する」ことが最善の対応。過剰に反応するとますます図に乗って、新たな脅しをかけてくる。
  • 「爆破する」という予告にある程度の信憑性があったとしても、そのことと「犯行が9月18日16時に行われる」という時刻の信憑性は全く別の問題。9月18日の13:00から18:00以外の時間帯は絶対安全という保証は全く無い。本物のテロリストであったとすると、むしろ、その時間帯以外の、警戒が手薄となる時間帯を狙って犯行に及ぶ恐れがある(フェイント)。
 ということで、過剰な対応は得策ではないように思う。もっとも、そのメールを最初からスパム扱いにして完全無視した場合、爆破予告発信者の行為は軽犯罪法程度の罪にしか問われず、警察も本気で捜査せずに終わってウヤムヤになってしまう。それに対して、今回のような対応をすれば、大学としてもそれなりに損害が発生するため、威力業務妨害として本格的に捜査せざるを得なくなる。発信者が逮捕された場合、数百万円規模の損害賠償請求が行われることになるだろう。自首するなら18日午前までがオススメ。

2020年9月17日(木)



【連載】「刺激、操作、機能、条件、要因、文脈」をどう区別するか?(9)確立操作と動機づけ

 昨日の日記の続き。

 行動分析学では「確立操作」は、動機づけ諸理論と対比しながら議論されることが多かったように思う。

 じっさい、心理学の世界では、古典的な「内発的動機づけvs外発的動機づけ」の議論、達成動機理論、マズローの欲求段階モデル、自己決定理論など様々な動機づけ理論がかなりの影響力を及ぼしている。いっぽう行動分析学では、本来、「動機づけ」という概念は用語体系には含まれていない。長谷川版の3.2.2.で述べたように、その理由は、以下の3点にあるように思われる。
  1. 行動分析学では、「動因」といった「内部の力」は仮定しない。「飽和化」や「遮断化」という言葉に置き換えれば、その個体が当該の好子をどれだけ手にしたか、どの程度接していたか、というように観察可能な形で記述でき説明を尽くすことができるので、内部の力を想定した概念は必要ない。
  2. 行動が活発に生じるのは、その行動が「動機づけられて」いるためではなく「強化されて」いるためであると考える。「飽和化」や「遮断化」は、行動の出現頻度を直接増減させているのではない。行動を強化している好子の力を増減させているのに過ぎない。
  3. 拒食症や過食症などの摂食障害などへの有効な対処策の検討、あるいは、「動機づけ」や「動因」というテーマのもとで生理学的、医学的な原因を研究することはもちろん必要。しかし、その場合でも、食物を獲得するための日常行動自体は、食物という好子によって強化されていると考えなければならない。
 じっさい、非行動分析学的な動機づけ理論はしばしば強化理論が誤っていると論じているが、そこでは「付加的強化随伴性」のみが強化であるように勝手に決めつけられて、自然随伴性やルール支配行動には全く言及されていない場合が少なくないように見受けられる。例えば、上掲の自己決定理論の5段階は、行動分析学的には、
  1. 外的調整:「報酬や罰による強化、弱化」→付加的強化(弱化)随伴性
  2. 取り入れ:義務感による→弱化子(嫌子)出現阻止の随伴性、強化子(好子)消失阻止の随伴性【実際はルール支配行動の1つ】
  3. 同一化:必要性による→→弱化子(嫌子)出現阻止の随伴性、強化子(好子)消失阻止の随伴性【実際はルール支配行動の1つ】
  4. 統合:目的や価値観との合致→ルール支配行動
  5. 内発的動機づけ:やりがいや楽しさ→自然随伴性(「行動内在的随伴性」を含む)
というように再分類することができる。であるとすると、上記の分類範囲においては、「動機づけ」という用語は出る幕がなくなってしまう。
 また動機づけ理論は、しばしば、当事者への質問紙調査に基づいてデータを収集しているため、当事者による主観的な行動「原因」を言語化させているに過ぎないという限界がある。要するに、本当の原因は別にあっても、本人がそれに気づいていなければ(言語化できなければ)、その言語コミュニティで流通している「内部要因」に置き換えて表明することしかできないという問題がある。
 そう言えば、プロスポーツ選手の優勝インタビューでは、殆どの選手が「ファンの皆様に喜んでいただくために」、「この国難のもとで少しでも元気になっていただけるように」練習に励んでいるというように答えている。もう少し利己的なホンネがあってもいいのではないかと思うフシもあるが、現実にはそういう「失言」をすればパッシングにあってしまう。
 いっぽう、強化理論による再定義は、当事者の主観的報告ではなく、行動とそれに随伴する結果との関係を観察したり、条件比較したり、場合によっては介入したりするなかで、より確実に把握できるし、その分析の中から、行動をもっと増やすにはどうすれば良いかといった改善策を見出すこともできる。

 ということで、行動分析学の用語体系には「動機づけ」は含まれていないはずであったのだが、ジャック・マイケルの影響もあり、「確立操作(EO)」の代わりに「動機づけ操作(MO)」という呼称が用いられる傾向が出てきた。このことに関しては、島宗先生の2014年のブログに、

MOとEOについて:とりあえず「確立操作」のままでいいと考えるいくつかの理由

という興味深い記事がある【その後、論文化されているかどうかは確認できていない】。

 私自身も、EOかMOかと問われれば、EOのままで良いのではないかという考えがある。冒頭にも述べたように、動機づけという言葉は、行動分析学以外の心理学で使い古されており、初学者向けにヘタに「動機づけ操作」を使うと、既存の動機づけ概念に混入している強化や弱化の操作と混同されてしまう懸念が拭えないと考えるからである。
 とはいえ、時代の趨勢はどうやらEOからMOに傾いているような気もする。また、そのことよりも、「操作」という手続段階の用語は、理論段階では「要因」というような別の用語に置き換えたほうが良いようには思うが、すでに隠居人となった今、積極的に主張するつもりはない。

不定期ながら、次回に続く。