じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 昨日の日記で「ツツジは落葉樹か」という話題を取り上げた。ツツジの場合はおおむね常緑樹だが、一部落葉する品種もあるようだ。
 いっぽう、アジサイは落葉樹として知られているが、寒風の当たらない日だまりなどでは落葉しない場合があるようだ。写真上はほぼ落葉した状態、写真中と写真下は葉が残っている状態(但しいちばん下はアマチャ)。

2020年1月15日(水)



【小さな話題】迷惑をかけるとはどういうことか

 昨日の日記で、
認知症の程度が重くなると家族に負担をかけるようになる。そうなると、自分の本意ではないにしてもやむを得ず施設に入居せざるを得ない可能性がある。
...
 認知症の進行度合いにもよるが、周囲に迷惑をかけない限りであれば、現実と、記憶の錯乱によって生じる非現実は特に区別する必要はない。といって、「迷惑をかけない限り」という前提はなかなか難しいところだが。
と記したところであるが、迷惑をかけるというのはどういうことを言うのか、突き詰めて考えていくとなかなか難しいところがある。

 まず、念のため辞書を引いてみると
  • 【新明解】その人のした事が元になって、相手やまわりの人がとばっちりを受けたりいやな思いをしたりすること(様子)
  • 【大辞泉】ある行為がもとで、他の人が不利益を受けたり、不快を感じたりすること。また、そのさま。
  • 【三省堂国語辞典】その人のしたことが もとになって、相手や まわりの人が困ったり、いやな思いをしたりすること。
などと定義されていることが分かった。上掲の定義はいずれも、迷惑というのが何かの行為によって生じること、迷惑かどうかはそれを被った人の気持ちに依存して変わる、というように読み取れる。
 もっとも、これらの定義では、何もしない限りは、他者に迷惑をかけることはゼッタイに無いということになる。しかし、例えば年末の大掃除の際に何もせずにゴロゴロしているのは家族に迷惑をかけていることにはならないのか、という疑問が生じるし、もっと大きな問題として、例えば、世界には貧困で苦しんでいるがたくさんいるのに何もしなくてよいのか、地球温暖化が深刻になっているのに何もしなくてよいのかといった疑問にも繋がってくる。
 また、他者に世話をしてもらうことがすべて迷惑になると考えてしまうと、重度の障がい者は周りに迷惑をかけている人ということになってしまう。ピンピンコロリ志向の背景にも、長期間寝たきりになるのはイヤだという自分の都合ではなく、ネンネンコロリになると家族に迷惑をかけてしまって申し訳ないという日本的な発想が含まれていると聞く。

 こうした疑問に対しては、「社会全体は1つのからだのようなものだ」という考え方をとることもできる。例えば、右手を骨折している人は左手だけでモノを掴む。左手は酷使されるだろうが、別段、骨折した右手のことを迷惑だとは思わない。からだ全体がうまく機能するように最善の役割を果たせばそれでよい。健常な人も障がいのある人も、それぞれのできる範囲で社会的な役割を果たしていけばよいのであって、迷惑をかけているかどうかで悩む必要はないという見方もできる。

 もっとも、「社会>個人」という見方は、みんな自由だという多様性重視の発想と矛盾するようにも思える。例えば、いまの社会では、結婚しないのも自由だし、結婚はするが(不妊症などの事情がないのに)子どもは作らないというのも自由だと考えられている。しかし、社会全体としては、少子化は深刻な社会問題となる。

 ま、結局のところ、いまの社会制度には絶対的な真理基準というようなものはない。人類の過去の経験の積み重ねの中で、多様な個人的な志向を正の強化により調整し、バランスを取りながらどうにかこうにかやりくりしていくほかはないのかもしれない。