じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 天文年鑑によれば今年の秋分は、9月23日16時50分となっている。国立天文台の暦によれば、岡山の日の出の方位は89.2°で、真東よりほんのわずか北よりとなっていた。私の住んでいるところではベランダが南向きになっていて真東から真西の方角の空を見上げることができるため、この先春分の日までは、晴れていれば毎朝、日の出を眺めることができる。
 なお、9月23日の岡山の日の出時刻は、5時52分、日の入りは18時01分で、昼間の時間のほうが長い。昼と夜の長さがほぼ同じになるのは9月27日。以前にも書いたことがあるが、9月27日の岡山の日の出は午前5時55分、日の入りは午後5時55分で、すべて「5」が並ぶ。日本全国のなかで、午前5時55分に日の出、午後5時55分に日の入りという地域はきわめて限られている。【2002年9月25日2007年9月26日の日記参照】

2019年9月22日(日)



【連載】

チコちゃんに叱られる!「なんで「えーと」とか「あのー」と言ってしまうの?」

 旅行のため録り溜めてしまったが、9月6日放送のチコちゃんに叱られる!の話題。この回は、
  1. なんで「えーと」とか「あのー」と言ってしまうの?
  2. なんでシューマイの上にはグリンピースが乗っているの?
  3. なんでコアラは木に抱きつくの?
  4. なんで炭を置くとニオイがしなくなる?
という4つの疑問が取り上げられた。本日はこのうち1.について考察する。

 「えーと」や「あのー」、「まあ」といったフィラー(【大辞泉】「ええと」「あの」「まあ」など、発話の合間にはさみこむ言葉)は、私自身もよく使っているし、会話、インタビュー、講義、会議、演説などさまざまな場面で耳にすることがある。日本語会話の中ではいちばん頻繁に出現する単語ではないかと思うほどだ。普段はごく自然に出てくる言葉として聞き流しているが、いったん気にするととても耳障りに聞こえることがあるし、自分自身で使うのを止めようとすると言葉が出てこなくなったりする。

 この疑問に対する正解は、番組では「発言権をキープするため」とされていた。確かにそれも1つの機能ではあるが、講義や演説の場面などではフィラーを使わなかったからといって発言権が奪われるわけでもない。他にも様々な機能があり、複合的に強化されているためと考えるべきだろう。ちなみにここで「強化」と言っているのは、フィラーを発声することが何らかの結果をもたらしているという意味である。その結果が強化機能を有するのであればフィラーは高頻度で発声されるようになるし、逆に弱化機能を有するか、何の強化機能も持たないのであれば、フィラーは弱化または消去される。

 番組で正解とされていた「発言権をキープするため」というのは、フィラーを発することで発言を継続できるという結果が生じ、そのことによってフィラーの発声が強化されているという意味になる。

 フィラーの強化機能としては、「発言権をキープする」ほかに、
  • 沈黙状態を避ける【発言が途切れていないことを相手に示すことで、相手からの注目を維持する】
  • フィラーを発声しながら考えをまとめたり、答えを見つけたりする【フィラーを発すること自体が発話者の思考を助けている】
などがあると思われる。これらは、対話場面ばかりでなく、講義や演説場面でも強化機能をもたらしていると言ってよいだろう。




 さて番組では、これに関係した興味深い話題として、「えーと」と「あのー」の使い分けがあった。デートに誘った相手が「えーと」と発声するか「あのー」と発声するのかについて、番組では、
  • えーと:深く考えているとき、記憶やエピソード・単語を検索。
  • あのー:言いたいことは決まっていて、どう表現するかを考えている。
というように区別された。デートの誘いについて言えば、「えーと」のほうは快諾を前提として時間の都合を検索しているような場合、「あのー」のほうは拒否を前提として断る理由を探しているような場合に使われるというのであった。

 上記の使い分けは常識感覚では納得できるところもあるが、何らかの実験・調査結果などを示してもらえばさらによかったと思う。ネットで検索したところ、こちらにより詳しい解説があり、
  • 計算問題の答えを暗算で出そうとしている時:○「えーと」、×「あのー」
  • 名前を思いだそうとしている時:○「えーと」、×「あのー」
  • 依頼をする時は「えーと」より「あのー」のほうが丁寧な印象を与える。
  • 独り言では「あのー」は使わない。
といった説明がなされていた【参考文献として、以下が挙げられていた。定延利之(2005)『ささやく恋人、りきむリポーター 口の中の文化』、岩波書店。
 ネットで検索したところ、こちら【日本心理学会】にも興味深い記述があった。【以下、長谷川による要約・改変あり】
  1. とくに意味のないこのような発話を「有声休止」という。有声休止には二つの機能があると言われている。
  2. 一つは対人的機能。サックス,シェグロフとジェファーソン(1974)が発見した「会話の順番取りシステム」という会話のルールによると,文末などの発話の区切りで黙ってしまうと(この現象を「無声休止」という),他の人が話し出すきっかけをつくってしまい,まだ話したいあなたから発言権が移行する可能性が生じる。そうならないために有声休止を発する。
  3. もう一つは認知的機能。有声休止には考えをまとめる補助的役割がある。ディアズとバーク(1992)は,課題の困難度の上昇と,無声から有声への休止の変化の相関関係を示した。
  4. 外的補助は,「認知主義」(cognitivism)という,広く心理学で暗黙の前提となっている見解を揺るがす重要な現象。思考が頭の中で完結していると考える,心と行動を分断し,後者は前者の添え物と解するのが,認知主義。しかし外的補助という現象が教えてくれるのは,人間は話したり,行動したりしないと円滑に考えられないことがある,行動もまた思考の一部であるということではないか。
 上記のうち3.〜4.のご指摘は、徹底的行動主義の立場から言語行動や思考を考える上で重要な示唆を与えてくれているように思う。

 次回に続く。