じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 文学部中庭のリコリス・インカルナータ。少し前に咲いていたナツズイセンと異なり、花弁に縦の筋が入っている。和名はタヌキノカミソリ(狸の剃刀)と言うらしい。和名のほうが覚えやすいかも。
 ちなみに、このリコリス・インカルナータはもともと岡大西門・西側花壇で育てられていたが、新施設建設工事の計画が浮上した時に現在地に移植された(新施設建設は結局白紙撤回された)。

2019年8月29日(木)



【連載】

又吉直樹のヘウレーカ!「独り言をつぶやくのはなぜ?」と言語行動論(2)

 昨日に続いて、又吉直樹のヘウレーカ! 「独り言をつぶやくのはなぜ?」についての感想、コメント。

 さて、昨日のところで、保育園の子どもたちの独り言の話題を取り上げたが、大人になってからの独り言の機能はかなり多様化しているようである。
 番組によれば、独り言で思考している時は、人と対話している時のような脳の活動があると解説されていた。具体的には、右半球側頭頭頂接合部が活性化している【ファニーハフ, 2016, 心の中の独り言 内言の科学. 日経サイエンス8月号, 96-101.】 要するに独り言とは、自分の中の自分との会話ではないかと岡ノ谷先生は説明しておられた。このあたりの考え方も、スキナーや関係フレーム理論の考える「思考の起源」に近いように思われた。但し、まず思考が別にあって「自分の中の自分と会話」しているのではなく、「自分の中の自分との会話」それ自体が思考であると思われる。「人間は考える葦である」というのは、「人間は視点(perspective taking)の切り替えを通じて自分自身と会話することができる動物である」と言い換えることができるかもしれない。【もっともそのような見方をすると、人間にとって最も重要なのは、考えることではなく、視点の切り替えができることになるが。】

 知恵の輪を解いている時に独り言が出やすいのは、発せられた言葉が、解決行動の切り替えの弁別刺激になっているように思われる。電車の運転士の指差喚呼(しさかんこ)は独り言ではなく訓練により形成された行動であるが、運転士以外が作業中に口にする独り言にも似たような効果があるかもしれない。
 言いたいことがいっぱい残っていると、新しいアイデアが浮かびにくくなる。とりあえず声に出して吐き出してしまえば、スッキリするということになるかもしれない。

 このほか、過去の嫌な出来事を思い出した時や直面する困難に向かっている時に、短い単語やフレーズ(「クソーッ」、「ダメだ」など)をつぶやく場合もある。これは、突発的に生じた情動的な反応を蹴散らすような効果があるようだ。こういうつぶやきは、精密検査で全身麻酔をかけた時や、臨終直前にも発せられるらしい。なので、できるだけ美しい言葉だけをつぶやくように、日頃から修正を心がけておく必要がある。例えば事あるたびに「クソーッ」とつぶやいている人は、「クソーッ」の代わりに「シアワセ−」と言い換える訓練を重ねれば、おそらく臨終間際にも「クソーッ」ではなく「シアワセ−」という言葉を残して死ぬことができるはずだ【←あくまで長谷川の独り言で根拠はない】。

 次回に続く。