じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 文化科学系総合研究棟(法務研究科、放送大学学習センター含む)の前のサンシュユ。何年か前に、放送大学の学生(←学生といっても高齢男性)が寄贈した苗が花を咲かせている。

2019年3月10日(日)



【連載】
チコちゃんに叱られる!「別れる時に「さようなら」と言うのはなぜ?」

 昨日に続いて、3月6日放送のNHK 「チコちゃんに叱られる!」の感想。今回は、

●別れる時に「さようなら」と言うのはなぜ?

 この疑問に対する答えは「これまではこうだったんだから、そうであるならばこの後は…ね」という意味が込められているから、ということであった。ウィキペディアからのリンク先「「さようなら」の語源と由来」というコンテンツに、より詳しい解説があり【長谷川により、内容を損なわない範囲で適宜省略・改変】、
  • 大辞泉にあるように「さようなら」の接続語の意味は「それなら」「それでは」。 「それなら、また明日」「それでは、お元気で」など、本来であれば、後に続く言葉が肝心の別れの言葉であるはずなのに、そちらは省略されている。この省略は、同一コミュニティにおける共通認識の上に成り立つ文化、空気を読む文化が色濃く出ている。(後に続く言葉は空気を読んでね!)
  • 「さようなら」は、別れの挨拶として相手の身分や地位、年齢にかかわりなく一般的に広く使われる。
  • 「さようなら、ごきげんよう」が本来の挨拶の基本。江戸時代までは「さらば、ごきげんよろしう」や「さようなら、ごきげんよう」と全部を言っていたものが、明治以降、男性が「さようなら」、女性が「ごきげんよう」と言いわけるようになり、ついに昭和には、女性のほとんども「ごきげんよう」は言わないで、「さようなら」を言って別れるようになってしまった。
 「こんにちは」、「ありがとう」、「おめでとう」などもそうだが、いまの時代に日常的に使われている用語はしばしば、元の意味から乖離している場合が少なくない。といって、いまさら語源どおりに使うのが正しいというわけでもないし元の用法に戻すことは不可能であろう。

 相手との関係、再び会う可能性、相手の将来などに配慮し、「さようなら、またね」、「さようなら、気をつけてね」、「さようなら、今後もよろしくお願いします」、「さようなら、今後のご活躍をお祈りします」などと、「さようなら」のあとに適宜言葉を付け加えれば事足りるように思われる。

 ちなみに、私自身は、単独で「さようなら」を使うことはまずない。たいがいは、「それでは、また」。このWeb日記をしばらく休筆するときは「ではでは。」と書いたりしている。