じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 昨年12月14日放送のチコちゃんに叱られる!で、「なぜ音楽室には肖像画がある?」という疑問が取り上げられたことがあった。正解は、「楽器のおまけだったから」であり、
楽器事業としては後発だった全音が、販売開始当初クラシック音楽家の肖像画を描いたカレンダーを作成し楽器を購入した学校におまけとして配布したところ好評を博し、学校の音楽室に肖像画が掲げられるようになる。
というように説明されていた。
 しかし、少し前、韓流ドラマの3大感動作品の1つに私が勝手に選定している「私の心が聞こえる?」の第1話を久しぶりに視たところ、小学校の教室にベートーベンの肖像画が置かれているシーンのあることに気づいた。普通の教室の教卓にピアノが置かれているなど、配置に不自然な点があることは否めないが、もし韓国の小学校の音楽室にも肖像画が設置されていたとすると、上記の全音のおまけとは別の経緯をたどったはずである。

2019年3月9日(土)



【連載】
チコちゃんに叱られる!「卓球のラケットが赤と黒なのはなぜ?」

 3月6日放送のNHK 「チコちゃんに叱られる!」の感想。

 今回はその中の、

●卓球のラケットが赤と黒なのはなぜ?

という疑問を取り上げることにしたい。

 この疑問に対するチコちゃんの答えは「1色だけだと試合がつまらないから」ということであったが、私には最初それが何を意味するのか全く分からなかった。じつは、この解答は「スポーツの試合が面白い」とか「つまらない」という根幹に関わる問題を含んでいた。

 ウィキペディアの当該項目に詳しく記されているように、卓球のルールは幾度となく改変されている。その理由の根本は、

いかに面白いスポーツとして存続させるか?

にあったようである。ここでいう「面白い」とは、ラリーの応酬が続くことである。もし卓球の勝敗が、サービスの成否、あるいはたった1回のレシーブだけで決まってしまったら何ともつまらないスポーツになってしまう。初心者同士の対戦ならそれも致し方ないが、ある程度練習を積んだ時には、難しいボールをいかに打ち返すか、ここぞとばかりにスマッシュを食らわすかというところに面白さが出てくる。

 もしラケットの形状やラバーの改善によって、とてつもなく速い打球や、予測不能な返球ができるようになればラリーは続かない。短期的にはそうした改良によって優勝できる選手も出てくるが、スポーツとしての面白さが無くなれば卓球人口も観戦者も激減してしまう。

 いっぽう、同色異質ラバーを禁止すれば、どちらのラバーで打ち返してくるのかが見えやすくなり、結果的に返球しやすくなりラリーの回数が増えるという次第であった。

 ちなみに、このルール改正は1985年に行われていたということであった。じつは私は中学1年の頃(1965年頃)、ごく短期間、卓球部に仮入部していたことがあった。テレビで最近の試合を見ると、なんだかルールが違っているような気がすることがあるのだが、ルールの変遷を見て納得。




 ここからは一般論になるが、スポーツのルールというのは恣意的に設定された随伴性の体系である。勝敗や成否、違反などの基準は、そのスポーツをいかに面白くするのかによって改良されていく。

 例えば、野球で、ピッチャーの新しい投法が開発されて、ヒットが生まれる確率が1割以下になってしまったとする。そうすると殆どの試合は0対0となって試合はいつも引き分けになり面白くなくなるだろう。その時は、その投法を禁止するか、1塁、2塁、3塁のベース間距離を短くすることで、いままでゴロになっていた打球がヒットになりやすくするなるようにルールを改正するといった対応がとられることになるだろう。

 私個人からの好みから敢えて言わせてもらえば、
  • サッカーの試合は得点の機会が少なすぎる。
  • アメフトは、試合の中断が多すぎる。
  • テニスは試合時間が長すぎる。
ということもあって、殆ど観戦したことがない。ま、それぞれ多数のファンがおられるので、私のためだけにルールを変えてもらう必要は全くないだろうが。

 もとの卓球の話題に関してトリビアをいくつか。
  • 日本では、山田耕筰が15歳の時(1901年)に岡山で卓球をしたという記録があり、最も古いらしい。岡山市の門田屋敷にある三友寺にその碑があるという。
  • 卓球台が青色になったのは、TV番組でタモリが織田哲郎に、『あれっ(卓球)て根暗だよね。』と発言したことで、翌年の中学生の卓球部の部員が激減した事がきっかけ。タモリさんはブラタモリなどでも大活躍されているが、世界的に影響を及ぼしたという点では、この「卓球台の色を変えた」が最大の功績になりそう。