じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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ネガフィルムからデジタル化された中学校1年の頃の教室。私の記憶では、中1から中2に上がる時にクラス替えがあり、中1の時の学校生活を記録するためにカメラを持ち込んだようである。
 机も教卓もすべて木製。興味深いことに、やりかけの将棋盤がそのまま残っている。


2018年5月24日(木)


【小さな話題】

世の中すべてゲーム理論

 シンガポールで6月12日に開催予定の米朝首脳会談が中止になったという。このニュースより少し前、トランプ氏は、習近平・中国国家主席を「世界レベルのポーカー選手」とたとえた。この趣旨は、習主席がポーカーフェイスで無表情を装いながら実は裏で、北朝鮮に影響を与えたことで、北朝鮮がアメリカに揺さぶりをかけるようになったのではないかと強く疑っているという意味だと言われているが、昨今の世界情勢が、ポーカーゲームのような駆け引きで動いていることは間違いない。

 そういえば、日本語では「プレイング・カード」のことは「トランプ」と呼ばれているし、ドナルド・トランプはカジノ・ホテル運営会社トランプ・エンターテイメント・リゾーツの設立者であるわけだから、名実ともにゲームのプロと言える。

 政治や経済を娯楽ゲームのようにとらえてしまうのは不謹慎かもしれないが、そのいっぽう、ちゃんとした学問としてのゲーム理論は、確実に人間界を支配してきたとも言える。大量の情報が飛び交う自由主義社会においては、ゲーム理論で説明・予測できる現象がますます増えてきたように思う。

 過去の歴史、さらに私自身が生まれた後で起こった国内外の様々な出来事を振り返ってみると、この世の中には、正義とか、正しい思想といったものは何も存在しないという気がしないでもない。正義というのは、ゲームの勝者を正当化するために後付けで作られた原理である。ある思想が正しいか間違っているかについても、絶対的に正しいとか間違っているといった基準は存在しない。もちろん、自然科学レベルで棄却される場合もあるが、どういう思想が支持されるのかどうかは、けっきょくはその時代の背景の中で有用性によって選択される。

 5月24日には、文化庁が認定している「日本遺産」が発表され、岡山市などが申請していた「桃太郎伝説」の原型になったとされる鬼退治の伝説にまつわる神社や遺跡などが選ばれたという。この「桃太郎伝説」もある意味では、桃太郎という勝者によって正当化された正義である。仮に、鬼と呼ばれている「温羅」が勝利していれば、桃太郎は侵略者として悪者にされ、別の伝説が作られたに違いない。




これぞ大相撲

 大相撲夏場所12日目の結びの一番は、1敗の横綱白鵬と、全勝の関脇栃ノ心が対戦した。栃ノ心はこれまで白鵬と25回対戦しているが一度も勝ったことが無かった。こちらの記事にもあるように、両力士は右四つがっぷりの力比べとなり、最後は栃ノ心の渾身の力を振り絞って寄り切った。

 定年退職後は夕食の時間を早めていることもあり、この一番はナマで観戦することができたが、両力士とも全力を出し切った歴史に残る名勝負であったと思う。

 直前の2日ほど、白鵬は手をつかずに立っていたように見えるなど、イマイチ横綱らしくないところがあったが、この日は横綱らしく、堂々と最後まで真っ正面から戦った。結果的には優勝から遠のいてしまったが、優勝回数の多さよりも、こういう相撲を取り続けることのほうが大横綱としての評価を上げることになるのではないかと思う。