じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 8月23日の日記で、モーサテとモーニングプラスのメインキャスターが夏休みをとり、番組の雰囲気が変わったという話題を取り上げた。今週は、メインキャスターの佐々木さんと榎戸さんがお二人とも復帰されたが、モーサテのニューヨーク駐在は、森田京之介さんの代理で野沢春日さんが登場している。また、夏休みとは関係ないが、モーニングプラスの解説者として池谷さんが登場されたことがあったが(写真下)、長年、モーサテのメインキャスターやニューヨーク支局をつとめられていた印象が強く、モーニングプラスなのかモーサテの続きなのか混乱してしまいそうな取り合わせであった。

2017年8月29日(火)


【思ったこと】
170829(火)ボーム『行動主義を理解する』(66)言語行動と言葉(3)

 昨日に続いて、

ボーム(著)森山哲美(訳)(2016).『行動主義を理解する―行動・文化・進化―』 二瓶社.

の話題。

 昨日も取り上げたが、言語的な行動と非言語的な行動を区別するための例はなかなか興味深い。翻訳書181頁には、自分自身への語りかけが言語行動にあたるかどうかが論じられている。これは独り言ばかりではない。自己教示や思考を含んでいる。本書では、「聞き手である自分の行動が、その語りによって変わらなければならない。」ということが言語行動に相当する。「口を慎もう」という自己教示は、聞き手である自分の行動を自制する働きをするので言語行動となる。「この絵は美しい」というのも、その発話の発展として、作者を調べたり絵の価格を尋ねたりする行動を増やす働きがあれば言語行動となる。いっぽう、誰も居ないところで歌を歌ったり詩を口ずさむような行動は、聞き手である自分に何も要求していないので言語行動とは言えない。

 特定の行動が、巨視的なレベルでの活動のひとつを構成しているような場合は注意が必要である。そのような行動は、活動を構成する他の諸行動と「ともに」起こっているだけであって、影響を与えているとは言いがたい。翻訳書のほうでは、自己教示に従った運転の例が挙げられている。この場合、自分自身に語りかけることは、聞き手以外の結果によって強化されており、言語行動とは言いがたい。

 以上のような区別は、言語行動を機能的に捉えている点できわめて明解である。但し、これらは、言葉のやりとりに関する説明であって、言葉の学習、アイデアが生まれるプロセス、あるいは、ある事象に関連した言語反応が不必要な不安や恐怖を生み出すプロセスは説明できない。但し、翻訳書183頁からは「言語行動 対 言葉」という節があり、両者を区別するという立場が表明されている。

 次回に続く。