じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 7月27日(木)の朝、職員定期健診の一環として胃のバリウム検診を受けた。今年度限りで定年退職となる私にとってはこれが職場での最後の検診となる。検診は8時30分開始となっていたが、自宅から徒歩で直接向かったところ8時17分頃に着いてしまった。15分ほど待たされるかと思いきや、すでに検診車の準備が整っており、一番乗りで直ちに受診することができた。検査車一番乗りは人生初である。

 でもってこのバリウム検診であるが、私の場合、数年に一度は「胃潰瘍」、「潰瘍痕」、「胃炎」という判定が出てしまう。その場合はかかりつけの内科で相談して、必要に応じて胃カメラで精密検査を受けるのだが、胃カメラはとにかく苦痛が大きい。これまでのところ、胃カメラでは特段の異状はなく、私の胃に特有の形状がバリウム検査に引っかかりやすいだけのようだが、母親が胃癌で亡くなっていることなどから本当に異状が出た時は深刻になりそう。来年以降、どこでどういう形で検診を継続させるのか、情報を集めておく必要がある。【たぶん、こちらに記された日程により、有料で(無料券は市民税非課税世帯、生活保護受給世帯のみ配布)受診することになるようだ。このほか65歳以上は、感染症法に規定された法定の定期検診の対象者となり、レントゲンによる集団検診または同等の検診(市内医療機関で実施する肺がん検診等)を一年に1回受診する義務があるらしい。】


2017年7月28日(金)


【思ったこと】
170728(金)ボーム『行動主義を理解する』(60)刺激性制御と知識(10)

 昨日に続いて、

ボーム(著)森山哲美(訳)(2016).『行動主義を理解する―行動・文化・進化―』 二瓶社.

の話題。

 本書155頁からは自己知識について詳しく説明されている。この話題は、私的出来事をどう扱うのかにも関わっており、徹底的行動主義者のあいだでも議論、対立がある点に留意しておく必要がある。

 まず、子どもがどのようなプロセスを経て私的出来事をタクトできるのかという点であるが、通常は、
  • 子どもが外部環境について何らかのタクトを発した時に、同じ環境にいる他者が強化する。【子どもが「イヌだ」と言えば、「そうだね。そのとおり。あれはイヌだよ」と言って褒める。また、「このボールは何色?」と尋ねて、子どもが「赤」と答えることができたなら、「そう。素晴らしい。そのとおり」と言って褒めたりする。】
  • 子どもだけが体験した出来事についてタクトを発した時、他者は、その子どもの関連行動や身体変化などを弁別刺激として、そのタクトを肯定的に強化する。【怪我をした場合の「ここが痛い」というようなタクト。】

 いずれにせよ、私的出来事のタクトは公的出来事のタクトほど明確ではない。じっさい外部からの観察が困難なケースでは、他者から推測することは困難であるし、場合によってはその人自身が、自分の状態をうまくタクトできない場合もある。「相互理解」とか「共感」というのは、共通体験の有無、他者の存在の重要性によっても変わってくるであろう。

 本題の自己知識に関しては、フェスティンガーの認知的不協和の実験と、それを再検討したベムの実験研究が引用されていた。他の心理主義と同様に、認知的不協和理論は、過去の社会的経験から私たちの目をそらせているだけであると論じられている。巨視的行動主義の立場から言えば、自分の信念や態度を知るということ(信念や態度についての自己知識)は、ほとんどの場合、長期にわたる多くの出来事の弁別に依存する。しかし、それらの出来事のほとんどは公的であって、私的な場合は少ない、とされている。

 なお、私的出来事の諸問題については、この連載とは切り離して、Baum-Moore論争として別途取り上げる予定である。

 次回に続く。