じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 日曜日の岡山は、未明、昼過ぎ、夕刻の3度にわたり、合計33.0ミリの雨が降った。岡山でも珍しく大雨警報が出されたが、私の知る限りでは特に被害はなかった。写真上は、12時20分のレーダー・アメダス。西から厚い雲が近づいている。写真中段は、夕刻の旭川の堰堤。多少水かさが増えており、「激流」に勢いが見られた。写真下は、岡山市中心を流れる西川の上流部。合流する2つの用水路のうち、左手側が茶色く濁っている。左手側の用水路には付近の山からの濁流が流れ込んでいるいっぽう、右手側は三野浄水場で取水した旭川の水が直接流れ込んでいるため、濁り方が異なっている。


2017年7月9日(日)


【思ったこと】
170709(日)ボーム『行動主義を理解する』(49)目的と強化(11)

 7月06日に続いて、

ボーム(著)森山哲美(訳)(2016).『行動主義を理解する―行動・文化・進化―』 二瓶社.

の話題。

 「原因としての目的」に続いて、訳書131頁からは「感情としての目的」が取り上げられている。この部分は、私的出来事をどう扱うかに関係しているが、このあたりはMooreから手厳しく批判されている内容を含んでいる。但し、その論点については別途取り上げることにしたい。

Moore, J. (2011). A review of Baum's review of conceptual foundations of radical behaviorism. Journal of the Experimental Analysis of Behavior, 95, 127-140.

 この節の冒頭では
人が目的について語る3番目の方法は、私的経験に関するものである。他者の目的について私たちが語るとき、私的事象について語ることはできない。しかし、自分自身の目的を語るとき、私たちは、何か存在するもの、何か私的なものに触れていると思うかもしれない。
The third way in which people talk about purpose is as part of private experience. When we speak of the purposes of others, we can say nothing of private events, but when we speak of our own purposes, we may believe we are referring to something present and private. 【英文は第3版】
と述べており、私的出来事がどのように語られるか、というより私的出来事についてどのように感じ方をするのかに焦点があてられているように見える。

 「○○するつもりだった」とか「○○したかった」という言明は、過去において、意図なるものが自分の経験の一部に語られることである。しかし、こうした意図についての報告は、実際には、公的出来事と組み合わされて、特定の文脈のもとで発せられている。文脈自体が公的に特定できれば、私的な「意図」を想定する必要はない。なお、ここまでのところでは、ルール支配行動の役割については特に言及されていない。

 次回に続く。