じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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ラマダーン明けの細い月。ウィキペディアによれば、ラマダーンとはあくまでもヒジュラ暦における月の名であり、今年は6月25日が最後の日となっている。写真は、翌6月26日の月齢2.4の月。ちなみに、「イスラム暦は純粋な太陰暦で閏月による補正を行わないため、毎年11日ほど早まり、およそ33年で季節が一巡する。そのため「ムスリムは同じ季節のラマダーンを人生で2度経験する」と言われる。」。猛暑の夏場に断食は大変だろうなあと思っていたが、真冬がラマダーンになる年もあるようだ。


2017年6月26日(月)


【思ったこと】
170626(月)ボーム『行動主義を理解する』(41)目的と強化(3)

 6月24日に続いて、

ボーム(著)森山哲美(訳)(2016).『行動主義を理解する―行動・文化・進化―』 二瓶社.

の話題。

 本書の117頁以降では機能的単位(functional units) の重要性が論じられている。行動を機能的に定義すること自体は徹底的行動主義の基本であるが、ここではやはり、巨視的行動主義の立場が強く反映しているように見受けられる。

 その定義は「機能的単位(functionalunits) とは集団であり、それは、その集団に所属する成員が行うこと、すなわち成員の振る舞い方や成員の機能の仕方によって定義される。成員がどのように構成されるのか、成員がどのように見えるのかということは、どちらかといえば問題としない。」となっており、機能的定義と対比されるのが、構造や形態的類似性による定義ということになる。例としてあげられているのは、テーブルの機能的グルーピングである。「4脚の家具」という構造的グルーピングであれば、ベッド、(四脚の)テーブル、(四脚の)椅子などは同一のグループにまとめられるが、機能的単位であれば、用途(機能)によって別々のグループに属することになる。いっぽう、三脚でも六脚でも八脚でも、テーブルという用途で使用される場合には同じグループとなる。

 本書から脱線するが、機能的単位によるカテゴリーは日常生活でもごく普通に使われる。「何か食べるモノを買ってくる」と言う場合、具体的にどういう食品を購入するのかは予想できないが、少なくとも日用品や衣料品を買いに行くのではないことが分かる。(岡山在住の人が)「東京に行く」という場合も、新幹線、飛行機、夜行バス、自家用車のいずれの手段で上京するのかは不明だが、少なくとも、九州や北海道に行くのではないことが分かる。

 物理的な質量と形をもった「テーブル」は確かに存在するだろうが、それがテーブルとして機能するかどうかは文脈による。天井の照明器具を取り外す際の踏み台として利用される時にはそれはテーブルではない。引っ越し屋さんが運ぶ時には、それは単なる大型家具となる。倉庫に入れられて、物置棚の一部として利用される時もテーブルではない。というように、人間が関わる存在としてのテーブルというのは、この世界に最初から存在しているわけではない。食事や団らんといったある種の文脈のなかで初めてテーブルとして機能しているのである。

 もっとも、機能的定義が形態的特徴から完全にフリーというわけでもあるまい。少し古びたドアを開ける場合、開閉に一定以上の力が要るかもしれない。ドアノブの回し方にも一定のコツがあるだろう。「ドアを開ける」という機能を満たす行動は、一定範囲で形態的・物理的特性に依存している。野球で、バッターがヒットを打つという行動は機能的に定義されるが(打ち返したボールがいったん着地し、野手が捕球して、走者が塁に達する前に送球できること)、どうやったらヒットを打てるかというスキルを磨く際には、打者の行動の形態的特性をきめ細かく分析する必要がある。

 また、上記のテーブルの例でも、テーブルを利用する人の数によって大きさが決まってくるし、テーブルを踏み台として利用する場合には高さが問題となる。また、別の部屋からテーブルを探してくる場合、テーブルの形状は弁別刺激として重要となる。

次回に続く