じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 一般教育棟C棟南にある南極・蜂の巣岩。この時期、西南西からの夕日を浴びる時間帯がある。

2017年3月11日(土)



【思ったこと】170311(土)オドノヒュー&ファーガソン『スキナーの心理学』(23)第4章 徹底的行動主義(5)

 3月10日の続き。

 第4章では続いて、「すべての行動は環境によって決定されている」と題して、自由意志と環境についてのスキナーの考えが紹介されている。【長谷川による要約・改変】
  • 自分たちには自由意志があると信じる理由の一つは、行動そのものに関しては熟知しているのに、行動の原因に関してはほとんど何も知らないからだ。
  • 行動がどのように引き起こされているかを無視しているので、自由意志、自由選択の産物だと考えてしまう。
  • 原因を知らずにいるということは、行動に原因がないということではないし、自由意志の存在を証拠立てるものでもない。
 同じことは、天変地異についても言える。自然現象の原因がよく分からない時代には、神の怒りといったメタファーでこれを説明しようとしたきた。科学が発展し、予測の精度が上がるにつれて、その領域での「予言」や「占い」は不要となる。宗教儀式は、予測や成就を願う目的ではなく、多数の要因が作用することで不確実な予想しかできない出来事に対する不安解消のツールとして存続するようになった。

 この節の終わりのほうでは、オペラント行動は受け身的な反射ではないが、だからといって、環境から独立した自由意志で自発されるというわけでもない点が指摘されている。環境に働きかけ、環境を変えるという意味においては目的を持つとも言えるが、環境から独立しているわけではない。

 なお、自由意志に関するスキナーの見解は、

Skinner, B.F. (1971). Beyond freedom and dignity. New York: Knopf.

で詳しく論じられている。翻訳も2冊出ているが、随伴性の基本概念を理解した上でないと読みづらいかもしれない。

 次回に続く。