じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 平日はもっぱら生協食堂で昼食をとっている。最近は単調なメニューにならないようにいろいろと工夫が凝らされている。写真は、今週提供されている「しじみ塩ラーメン」と「徳島丼(Sサイズ)」。

2017年1月18日(水)




【思ったこと】
170118(水)二人称や三人称の苦悩(7)ルール支配行動と自己(4)

 1月17日の続き。

 この連載では「二人称(あなた)」、「三人称(あの人)」と「一人称複数(私たち)」について考察してきたが、この問題は、ルール支配行動が集団、社会、組織全体をどう動かすかに関わっているように思う。

 例えば、ゴミの分別を推進するにあたって、「あなた」という個人に「分別にご協力お願いします」と呼びかけるのと、「私たち」という人称で「分別を一緒に推進しましょう」と呼びかけるのでは効果は異なってくる。

 さらに言えば、個人の行動の原理として適用可能な「基本随伴性」、ルール支配行動(「阻止の随伴性」を含む)が、集団全体の施策推進にどこまで有効かという問題がある。一般的には、好子出現の随伴性は補助金や減税といった形で、嫌子出現の随伴性は罰則や課徴金といった形で、集団単位の活動のコントロールに効果がある。但しそれは、個人単位の行動の強化や弱化のように、「行動」の直後の結果によって変容していくものではない。決定権を持つリーダーたちが、所属する組織を1人の人間のように見なして(=まさに「法人」)、ルール支配行動に準じて方針を変えていくだけかもしれない。

 こうしてみると、「私たち」という一人称複数単位の「行動」自体は、一人称単数「私」を擬似的に扱ったものに過ぎないという見方に傾いてしまう。しかし、家族やスポーツのチームのような強い絆で結ばれた集団の場合には、メンバー個人個人の行動よりも、集団単位の連携行動のほうが優越することはあり得るのではないかと思う。例えば、新しい場所に移り住むかどうかを検討する場合は、自分個人の損得ではなく、家族全体にとってのメリット、デメリットが優先されるであろう。地域全体に関わる環境問題の場合も、個人の損得よりは地域全体の安全に注意が向けられるかもしれない。

 いっぽう、任意に加入、脱退が可能な会員制の組織の場合は、会員個人としては、その会の発展のために尽くす行動ばかりでなく、会員であり続ける場合と会を脱退した場合についてメリット、デメリットを検討するかもしれない。

 次回に続く。