じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 津島東キャンパス・陸上競技場のカイヅカイブキと金星。カイヅカイブキは夜間照明の強さによって趣のある微妙な陰影ができる。

2016年12月19日(月)



【思ったこと】
161219(月)関係反応についての講義メモ(33)長谷川の考え(7)

 昨日の続き。

 「同じ」をどう定義するかは別として、人間や動物がかなりの程度まで、「同じ」に相当する関係反応を起こしていることは間違いない。重要な点は、
  • 関係反応としての「同じ」反応と、そうでない「同じ」反応をどう区別するのか。
  • 関係反応としての「同じ」反応がどういう条件のもとで生じるのか。
という点にある。

 「関係反応」はしばしば「関係学習」と言い換えられることがあるが、私自身は、「関係学習」という呼び方は誤解をもたらす可能性があるのではないかと考えている。「関係学習」というのは、この世界には、もともと「同一」、「相違」、「前後」、「上下」、「左右」といった関係が存在しており、人間や動物がどうにかこうにかして、それらを学習するということを暗黙の前提にしているように思われるからである。

 こうした発想は認知心理学では当たり前のこととされているかもしれないが、徹底的行動主義が採用すべき前提ではない。行動分析学的に言うならば、「関係」はこの世界に最初から存在しているのではない。人間や動物が、自分たちの適応に有用であるように環境を秩序づけるためのツールとして形成した反応のタイプにすぎない。(秩序づける際の基準は恣意的に設定できるが、秩序づけるさいに使用する物差しは物理的特性に依拠しているゆえ、勝手に変更することはできない。)

 これらのことから、「同じ」反応が発せられる場面、あるいはそれらを形成する訓練においても、アプリオリに、「これらの学習はAとBが同じであることを学習するための訓練の一部である」と見なすことはできないと言うことができる。例えば、
  1. 日常生活場面において、子どもがモノの名前を覚える(実在のモノ→モノの名前の対応づけ)
  2. 選択型見本合わせ課題
  3. Go/No・Go型見本合わせ課題
  4. Yes/No型見本合わせ課題
といった日常場面や実験場面は、まずはそれぞれ別々の学習としてタイプ分けしておき、その上で、ある課題・条件で習得された関係反応が別の課題・条件で派生(あるいは転移)するのか、といった見極めをするという姿勢が求められる。その派生がきわめて広範囲に及ぶ場合に初めて「同じであることを学習した」とひとくくりに扱うことができるのである。

次回に続く。