じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 時計台脇のカイノキ。両側にある2本ともメス樹のため、近年は種をいっぱいつける代わりに紅葉のほうはイマイチとなっている。このところ、種を目当てにハトのほか何種類かの野鳥が飛来している。

2016年12月15日(木)




【思ったこと】
161215(木)関係反応についての講義メモ(31)長谷川の考え(5)

 昨日の最後のところで言及した、「等位(一致、同一、等価)」、「比較」、「相違(区別)」、「空間的関係(後ろに/前に、上に/下に)、時間的関係(先に/後に)、因果的関係(もしも〜なら)、階層的関係(「〜のー部」)、「視点の関係」(私/あなた,ここ/あそこ)といった刺激間の関係は数学的にも定義できるが、心理学の研究としてはあくまで行動レベルで、かつ、機能的文脈主義の視点から捉えていくことが必要であろうと思う。すなわち、こうした関係が自然界に厳然と存在していて人間がそれを発見するのではなく、人間が自然界を秩序づけるために考案したツールであると考えるべきである。

 そんなことを言うと、RPGゲームのようなバーチャルな世界と同じように、この世界の法則は人間の好みで好き勝手に造り替えることができると誤解される恐れがあるが、「人間がどのようなツールで世界を秩序づけるか」ということと、「そのツールで比較した時にどういう判定がなされるか」ということは異なる。亜鉛社の「どういうツールを利用するか」については好き勝手に選択できるが、いったんそのツールで比較をすると決めた場合、比較の結果を勝手に変えることはできない。例えば、2個のリンゴのうちの1個を選ぶにあたって、重さで比較するか、色で比較するか、糖度で比較するかといったように、どういうツールで比較するのかは好き勝手に選択できる。しかしいったんツールを選んだあとではその結果を変更することはできない。例えば大きさでリンゴを比較しようと決めた場合、小さいリンゴを指さしてこちらのほうが大きいと主張することはできないし、色や甘さを取り替えることができない。これは、比較に使用するツールがおおむね、物理的特性に依拠しているためである。物理的特性は意のままに操ることはできないのである。

 関係フレーム理論で言われている「非恣意的な関係」というのは、今述べた物理的特性に依拠した関係のことをいう。これに対して、恣意的な関係というのは、物理的特性に依拠しない新たなツールを作ることと言える。よく挙げられる例として10円硬貨と50円硬貨の大きさがある。現行の10円硬貨は重さ4.5g、直径23.5 mmであるのに対して、50円硬貨は重さ4.0g、直径21.0mmとなっていて、重さというツールで比較しても、直径というツールで比較しても10円硬貨のほうが物理的に「大きい」。しかしながら交換価値としては50円硬貨は10円硬貨5枚分と等価であると定められている。これは法律により恣意的に設定された関係と言える。

 人間は恣意的な関係づけができるとされているが、その根底で、非恣意的な関係に依拠していることは間違いない。恣意的な関係だけで構成されているのは純粋数学ぐらいのものだと思われるが、その純粋数学であっても、リアルの世界のメタファーなしに議論することはむずかしい。

 次回に続く。