じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 時計台前のアメリカフウとカイノキの紅葉状況。そろそろ色づいてきた。

2016年10月19日(水)



【思ったこと】
161019(水)2016年版「人はなぜ○○するか?」(9)戦う(争う)

 昨日の続き。

 今回は5票を集めた疑問の中から、

  • 人はなぜ戦うのか(争うのか)
    という問題を取り上げることにしたい。

     一般に、戦争や喧嘩、利己主義的な争いなどは現代社会では良くないことと考えられている。もっとも、すべての戦い(争い)が悪いというわけでもない。スポーツ競技、とりわけ対戦型の競技のように、戦って勝つことで努力の成果が報われる場合もある。また、世の中、受験、就職、業績、他社との競争というように、好むと好まざるとに関わらず、避けて通れない争いもある。

     競争自体は、植物や人間以外の動物や植物でも見られる。森の中や原っぱの草むらにはいろいろな植物があり、いっけん仲良く棲み分けているようにも見えるが、実は強烈な縄張り争いが進行しており、共生関係もあるとはいえ、基本的には成長力・繁殖力旺盛な種類だけが生き残っていく。人間以外の動物でも、強い個体が縄張りを維持し、交尾し、子孫を残していく。

     もっとも動物といえども、弱肉強食の世界だけで生きているわけではない。ある程度の共生や棲み分けもあるし、群れで暮らす動物たちもいる。そういう場合の選択肢は、基本的には、争うか、関わりをさけて棲み分けるか、共生関係をつくるかの3通りになる。

     人間の場合も同様で、個々人は多様な生き方を選択しつつ必要に応じて協力する。しかし、ひとたび戦争が起これば敵国の兵士を容赦なく殺したりするであろう。

     というように考えていくと、けっきょく、人間は、ある文脈では友好的で平和な協力関係を築く一方、別の文脈では争ったり戦ったりするようになる。ごく少数の人を除けば、そうした行動は特定の文脈に依存して遂行されるものであり、良いとも悪いとも言えない。そういう意味では性善説も性悪説も成り立たないように思える。

     適切なルールのもとで争うこと自体は、当該行動を活性化しスキル向上をもたらしたり、低コスト高品質の製品を作り出したり、など決して悪くない効果があるとは思う。いっぽう大きな戦争や内戦は、世界中のすべての人が平和主義者にならない限りはなかなか阻止できない。次善の策としては、
    • 協力関係を維持したほうが好結果をもたらすような環境を作る。
    • ゲーム理論でいう均衡状態を維持する、

    などが考えられる。もっとも、いつの世でも「平和かつ安定した状態」は格差社会や国家間の貧富の差を生み出しやすい。私自身は人類の将来には悲観的である。

    次回に続く。