じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 岡大構内には防火用水目的と思われる池がいくつかあるがそのうちの1つでスイレンが開花した。

2016年05月12日(木)


【思ったこと】
160512(木)トールネケ『関係フレーム理論(RFT)をまなぶ』(23)「考える」と人間の言語(9)認知的な解決はどこに問題があるのか?

 5月11日の続き。

 第2章43頁以下(翻訳書63頁以下)では、ルール支配行動に関連して、「私たちは,どのようにして,現時点で生じていないモノやコトを開係づけているのか」に関する認知的な解決が批判的に取り上げられている。ここで話題となっているのは、認知主義における「スキーマ」あるいは「心的表象」といった内的処理プロセスを仮想した概念である。なぜ批判されなければいけないのか、それは、内的な構造を想定してもそれに直接影響を与えるためにアクセスすることができないからだとされている。実際にコンタクトできるのはその効果のみであり、結局のところ、魂やプシュケーと同じような歴史的遺物になってしまうからである。
All we can contact is their effects: the phenomena they are assumed to cause. If something cannot be contacted in time and space, then it also cannot be influenced in a direct way. In behavior analysis, these theories based on assumed internal structures and mental representations are seen as a historical remnant of prescientific discussions that included the soul or the psyche (Skinner, 1963).
。私たちがコンタクトできるのは,その効果―すなわち,それらが引き起こすと想定されている現象一だけである。もし,それが時間と空間の中でコンタクトできないものだとしたら,私たちはそれに対して直接的な方法で影響を与えることもできない。行動分析学では,想定された内的構造や心的表象に基づいたこのような理論は,魂やプシュケーを含んだ「前・科学的」な議論の歴史的遺物とみなされている。
 本書ではさらに、現代的な認知理論や情報処理理論において,神経生物学的モデルに依拠することに対しても懐疑的な立場をとっている。脳の構造や変化は、行動の原因ではなく、その時起こっている行動の一部なのであるというのがその理由。
All of these are contributing elements and therefore are parts of the action. And in the behavior analytic approach, the cause of the act cannot be a component of the action itself; causes must be sought in events that precede and/or follow the action.
しかし,これらの現象のすべてが,手を挙げるという私の行為の一部にすぎない。行動分析学では行動とは, 生体全体として遂行されたアクションのことである」と定義される。つまり,アクションの一部分によって,そのアクション全体を説明することはできない。
 脳の構造や変化と行動の原因をめぐる上掲の考え方については私も賛成である。ルール支配行動の話題から脱線するが、私自身は授業で、「笑う」という例を挙げて、上掲と同じ考え方を論じている。落語、漫才、ジョークなどを聴いて笑うという例を考えてみると、笑いの原因はあくまで、芸人さんたちの巧みな話芸やストーリーの展開の中にある。脳のどこを調べてもそうした原因は見つけることはできない。笑いに伴う脳の構造や変化は、あくまで笑うという行動の一部なのである。もちろん、電気的な刺激を与えたり何らかの薬物投与によって、笑いと同一の行動を引き起こすことはできるかもしれないが、それは、話芸によって引き起こされる笑いの真の原因をつきとめたことにはならない。人工降雪機で雪を降らせることを示しても、気象情報で降雪の予報を出す際の有益な手がかりにはならないのと同様である。

次回に続く。