じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 4月14日夜に続いて4月16日未明にも大きな地震があり、気象庁によれば、現時点では4月16日の午前1時25分頃に発生したマグニチュード7.3の地震が一連の地震の本震と見られているという。被害地域も東西に拡大し、このWeb日記執筆時点では、南阿蘇村での被害状況が報道されていた。当初、この地震は、熊本市の南に位置する益城町周辺での活断層がもたらした局所的な現象であると思われていたが、震源がフォッサマグナに沿って別府方面まで伸びているのが気になるところではある。

 写真は以前訪れた南阿蘇村。阿蘇山の火山灰で形成されたもろい地盤が多く、今後の余震や降雨による二次災害が心配される。

2016年04月15日(金)


【思ったこと】
160415(金)「宮澤賢治はなぜ浄土真宗から法華経信仰へ改宗したのか」(7)決め手は現世重視と集団社会宇宙か?

 昨日の日記の最後のところで、
賢治のアニミズムと日蓮宗の教義には共通部分があったことは確かであろう。しかし、上京した時にたまたま聴いたという国柱会の田中智学の講演の中でアニミズムが強調されていたとは到底思えないし、それ以前に読んでいたという『漢和対照妙法蓮華経』でアニミズムの特徴が顕著に示されていたとも思えない。となると、よくよく学べば日蓮宗の中にアニミズム肯定の要素が含まれていることに気づいたかもしれないとしても、賢治の改宗即断の決め手になったかどうかは定かではないようにも思える。
と述べた。では、改宗の理由として、アニミズムに代わるどんな決め手が考えられるだろうか?

 正木先生の講演では、これに関連して、まず、賢治が不滅の霊魂にこだわり憧れていたという指摘があった。すでに述べたように、宮沢マキと呼ばれる一族は、肺病の血筋と言われ、賢治も10歳代半ばのころから自身が短命に終わることを自覚していたという。このことは『ひかりの素足』に出てくる「にょらいじゅりゃうぼん第十六(妙法蓮華經如來壽量品第十六)」という言葉に表れているという話であった。確かに法華経の教えでは久遠実成という考え方があり、これが賢治をひきつけた可能性はありうるとは思う。

 次に父親との葛藤が一因になっており、浄土真宗か日蓮宗かという限られた選択肢のもとでは後者に改宗したという可能性がある。但し、講演では賢治が父親と一緒に関西に旅行に出かけたという記録もあり、葛藤はあったとしても決定的に影響を与えたとは言いがたいと指摘された。

 3番目に、念仏はどちらかというと読んでいて静かになるのに対して、お題目(と般若心経)は、言葉の持っているリズムを含めて元気になるという特徴があるとも指摘された。宗教は哲学や思想という教義の面だけでなく、からだや行動で身につけなければならない部分もある。賢治が団扇太鼓を叩いて歩き回っていたという目撃談については異論もあるようだが、お題目のリズム自体が賢治を元気づけていた可能性はあるかもしれない。

 さて、講演の中で、私が最も有力であると感じた改宗の理由は、以下の2点である。

 まず、現世と浄土との関係。宗教に疎い私には、本質的な議論までは分からないところがあるが、私が理解した範囲で言えば、仏教の多くの宗派は、阿弥陀仏の救いを信じ、死後、けがれた世界であるこの世の穢土(えど)を去って、仏の住む西方極楽浄土に往生することを目ざしていた。法然は、浄土とこの世の間を往復するという考えを持っており、亡くなる3日前にもふるさとの浄土に戻ると語ったエピソードがあるという。浄土真宗にもこの考えは継承されているが、現世と浄土を往復することはうまく説明されていない。いっぽう法華経ではその往相還相(おうそうげんそう)を乗り越え、往生できる資格があっても苦しんでいる衆生がある限り何度も生まれかわってこの世を救うという考え方が示されているという。こうした現世重視は賢治の心を強くとらえた可能性がある。

 もう1点、これも宗教に疎い私には理解不足の点が多々あるとは思うが、歎異抄に「ひとえに 親鸞一人がためなりけり」という記述があるように、基本的には個人を主体としている。これは当時の近代的自我の確立にも通じるところがある。これに対して、賢治は農民芸術概論綱要の冒頭で、
おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である
と記しており、このうち「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない/自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する」という部分は、近代的自我とは明らかに異なる方向を向いている。上に述べた法華経の現世重視や大乗菩薩道の考え方とあいまって、このことが日蓮宗への改宗を決定づけた可能性は大いにあると思う。

 ということで、今回の連載はこれにて終了。正木先生の講演の中で指摘されていたように、賢治は多面的多様的で相矛盾するものを持っており、改宗の原因をたった1つに求めるのは無理がある。逆に言えば、賢治の作品のすべてを日蓮宗の教義に基づいて創られたものであるとか、その教えを広めるためであると捉えるのは、たとえある時期に賢治本人がそう語っていたとしても、やはり一面的な見方と言わざるを得ないようにも思う。「雨ニモマケズ」などはまさにそうであり、法華経とは切り離し、個々人が詩自体を自分なりに解釈して自分の人生の支えにしたとしても決して間違っていないとも思う。