じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 各種報道によれば4月14日21時26分ごろ、熊本県で震度7の激しい揺れを観測する地震があったという。このWeb日記執筆時点ではまだ被害の全容は伝えられていないが、熊本城の石垣や屋根の瓦が一部崩れているという情報があった。

 写真は昨年11月に訪れた時の熊本城の石垣。先日、NHKブラタモリ「熊本城は“やりすぎ城”?」でも紹介されたように熊本城は石垣が高く積み上げられており被害が心配される。もっとも、地震が夜間に起こったため、見学者がいなかったことは不幸中の幸い。

2016年04月14日(木)


【思ったこと】
160414(木)「宮澤賢治はなぜ浄土真宗から法華経信仰へ改宗したのか」(6)アニミズム

 昨日の続き。

 正木先生の講演のその7では、賢治が改宗した一因として、賢治のアニミズムが指摘されていた。

 賢治の作品では人間、動物ばかりでなく、植物や鉱物にも命や霊魂を持っていたように描かれている。このアニミズムにどう向かい合うかが、賢治の宗派選択に影響を与えていたようである。

 まず、キリスト教はアニミズムを否定しており賢治にとって許しがたかった。ちなみに、西洋では山は征服するものであり、森の開発とともにキリスト教が広がった(開発されない森は悪魔の棲むところ)。いっぽう、日本では山は神仏が現れる場所であり、森には敵ではなく一緒に暮らしていく場と考えられてきたと論じられた。

 正木先生の講演ではこの話題のあと少々脱線し、日本の神道においては、自然の生命力を神としており、同じ神様があまりにも生命力が強い時と、ちょうど受け取りやすい強さになる時があり、人間に恵みをもたらしたり自然災害をもたらしたりする【荒魂・和魂】。那智の大滝なども、西洋人にとってはどこが神なのか理解しがたいところがある。流れ落ちる水自体ではなく、そこに現れている自然のエネルギーを感じ取らないと信仰にはつながらない。

 上記のお話の中で少々疑問に思ったのは、賢治の思想の根底にアニミズムがあるとするならなぜ、日蓮宗ではなく神道、とりわけ古神道に関心をいだかなかったのかという点である。もっとも当時は極端な国家神道が国全体に影響を及ぼしており、自然崇拝からは遠ざかっていた可能性もある。

 元の話題に戻るが浄土真宗とアニミズムの関係はどうか? 講演によると、浄土真宗はひたすら阿弥陀仏に向いており、現世の自然にはあまり関心を示さなかった。いっぽう、日蓮宗は一神教的でありながらアニミズムに対してかなり肯定的であり、それは曼荼羅に描かれていることで分かる。また日蓮の書いた本の中にも、草木を含んでこの世界全体がお釈迦様のからだの一部であるという考えが示されているという。ちなみにインド仏教、あるいはチベット仏教では草木は成仏しないとされてきた(←ダライ・ラマは日本を何度か訪れた影響か最近になってから草木も成仏するというように教義を変えた?という)。

 いずれにせよ、賢治のアニミズムと日蓮宗の教義には共通部分があったことは確かであろう。しかし、上京した時にたまたま聴いたという国柱会の田中智学の講演の中でアニミズムが強調されていたとは到底思えないし、それ以前に読んでいたという『漢和対照妙法蓮華経』でアニミズムの特徴が顕著に示されていたとも思えない。となると、よくよく学べば日蓮宗の中にアニミズム肯定の要素が含まれていることに気づいたかもしれないとしても、賢治の改宗即断の決め手になったかどうかは定かではないようにも思える。

次回に続く。