じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 半田山植物園で、ソメイヨシノが開花した。開花状況は樹によって異なり、大半はまだ蕾状態だが、満開に近い樹もあった。
 写真は、園内で最も長寿とされている樹で樹齢は110年を超えている。なお、右上は夜間ライトアップの際に撮影したもので、樹の左上には木星が写っている。

2016年03月26日(土)


【思ったこと】
160326(土)行動分析学における自己概念と視点取得(9)思考(5)アイデアを思いつくことと「独創性」

 3月24日の続き。

 Skinner(1953)の第16章では、「意思決定行動」、「想起という行動」、「問題と解」に続いて、「アイデアを思いつく"HAVING AN IDEA"」という節が設けられている。「数学者が、ある問題に取り組むのを断念したのち、とつぜん、その解が頭に浮かんでくる」、「アイデアが突然ひらめく」というような現象は、必ずしも「無意識的な思考」が働いたわけではない。ある新奇な反応(アイデア)が、ごくわずかな特性だけを共有する別の刺激によって引き起こされる場合がある。それらはメタファー(隠喩)と呼ばれる。

 「メタファー」と言えば、すぐに思い浮かぶのが関係フレーム理論である。トールネケ(2013)の第5章「アナロジー,メタファー,そして自己の体験」ではこのあたりのことが詳しく論じられているが、これについては後述することとし、ひとまず先に進むことにしよう。




 この章の最後は「アイデアの独創性 ORIGINALITY IN IDEAS」で締めくくられている。ここではそもそも独創的とは何か?について疑問が投げかけられている。

 国語辞典によれば「独創」とは
  • 【大辞泉】模倣によらないで、独自の発想でつくりだすこと。
  • 【新明解】他のまねでなく、独自の考えで物事を作り出すこと。
と定義されているが、「模倣によらず」とか「独自の発想で」ということは本当にできるのだろうか?

 Skinner(1953)は1つ前の第14章「“セルフコントロール”」の章で、「セルフ」というのは究極的には外部環境変数によってコントロールされるものであると論じており、同じことは、アイデアについても言えると指摘している。
We saw that self-control rests ultimately with the environmental variables which generate controlling behavior and, therefore, originates outside the organism. There is a parallel issue in the field of ideas. 【254頁】
われわれは、セルフコントロールは究極的にコントロールする行動を生じさせる環境変数次第であること、つまり生活体の外側に生じる環境変数次第であることを述べてきた。アイディアの領域にも、同じような問題が存在している。【藤本訳、301頁】
 「独創」があるかないか、については、まず何が独創にあたらないのかを挙げてみるとよいだろう。Skinner(1953)では、
  • 明らかな模倣(obviously imitative)
  • 音声や文字による教示に従う反応(controlled by explicit verbal stimuli, as in following spoken or written instructions)
  • 所定の数学的演算(routine mathematical operations)
  • 公式の演繹的適用(the use of syllogistic formulae)
などを挙げている。そのいっぽう、ある一連の操作が、かつて一度も適用されたことのないケースに施された場合はその結果は斬新であると言われる。そのような意味で「独創的」と評価することはできるが、本質的には、類似の事態からの刺激誘導(supplied by stimulus induction from similar situations)、もしくは、他者と異なる生育歴を反映した結果であって、「模倣によらないで、独自の発想でつくりだす」という国語辞書的基準を満たすものとは言いがたい。

 Skinner(1953、255頁)はさらに、さまざまな強化随伴性が発達し、先祖の時代よりもうまくコントロールされるようになった現代(←といっても、この著書が刊行された当時ではあるが)のほうが、より多様な独創性が生み出されるようになったと指摘している。科学技術はもとより、美術や作曲といった芸術の領域においても、創造的な発見や作品というのは、世間から隔絶された孤高の環境で生み出されるものではない。もちろん、他者との交流を遮断し静かに瞑想にふけるという時間はあったかもしれないが、アイデアの根源となる素材や独創の手助けとなる補助的類似刺激は、高度に発達した情報社会によってもたらされるものである。じっさい、先祖の時代に比べて、Skinnerがこの本を刊行した1950年代、さらに2000年代、...となるにつれて、新たな発見や創造は加速度的に増加していると言えよう。

 第16章の最後のところで(原書256頁)スキナーは、もし独創性が、【過去の反応とは独立して独自に】自発されるようなもので【既存の情報や類似刺激に全く頼らず】何の法則的なプロセスにも依拠しない【純粋なヒラメキのような】ものであるとしたら、人を独創的にするような教育、あるいは独創的発見をしやすくするような方法の開発は不可能であると論じている。そのいっぽう、スキナーの論じた考えが正しかったら、つまり、独創性なるものの本質が蓄積された情報及び、発見や創作につながるような補助的類似刺激の活用によってもたらされるものであるとするなら、より有効な教育方法を開発する可能性を否定する理由はどこにもなく、また個人はもとより組織、あるいは機械の利用を含めて、より創造的な思考方法を開発する可能性を否定する理由もどこにもないと結んでいる。
So long as originality is identified with spontaneity or an absence of lawfulness in behavior, it appears to be a hopeless task to teach a man to be original or to influence his process of thinking in any important way. The present analysis should lead to an improvement in educational practices. If our account of thinking is essentially correct, there is no reason why we cannot teach a man how to think. There is also no reason why we cannot greatly improve methods of thinking to utilize the full potentialities of the thinking organism − whether this is the individual or the organized group or, indeed, the highly complex mechanical device.

 ここ数年のあいだに達成された諸々の偉業(はやぶさによる小惑星探査、ニュー・ホライズンズによる冥王星探査、巨大観測装置LIGOによる重力波検出など)をみても、近年の科学的な発見の数々は、高度な科学技術の集成、組織、機械の利用により達成されており、スキナーの半世紀以上前の論考の正しさは実証されていると言ってよいのではないかと思われる。

 次回に続く。