じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 座主川・遊歩道沿いのキリシマツツジが早くも開花している。写真とは別の場所では2月下旬から開花している株もある(2月25日の楽天版)。木々に囲まれていることと北側に川があるため、開花が早まっている可能性がある。なお、リンク先ではサツキツツジと思われると書いたが、今回撮影した株の根元には「キリシマツツジ」の表示があった。

2016年03月08日(火)


【思ったこと】
160308(火)コミュニティで創る新しい高齢社会のデザイン(4)

 昨日の続き。

 老いの進み方に合わせた心積もりに関してはこちらの研究経過の記録があり、記入編成果報告を拝見することができる。

 今回の報告でも言及されていたが、この研究の「副産物」として、AD(Advance Directive、事前指示)からACP(ACP advance care planning ケア計画事前策定プロセス)へ、という提案が目にとまった。もっともリンク先でも指摘されている通り、米国流ACPは結局ADを目ざしているという面があり、ここでは、ACPの目標を「今から終わりまでの心積りへ」という新たな視点が提案されていた。

 「老活」研究の話題でいつも疑問に思うのは、宗教の積極的な役割が明示されていないことである。公的資金を活用した研究、あるいは、介護保険制度のもとでは、特定宗教に偏った老活支援や介護ができないという制約があることは分かるが、死に直面する段階では、それぞれの人の信仰を尊重した支援というのがもっと重視されてもいいように思う。

 私がこの問題に関心を持ち始めた頃、ちょうどテレビでビハーラ病棟が紹介され大きな感銘を受けたことがあった【1997年6月11日の日記参照】。私自身は無神論者であり、死後に天国(また地獄)に行かれるなどとはコレっぽっちも思ったことはないが、「老活」の早期の段階から、天国を目ざして前向きの清い生活を過ごすこと自体は大いに意義深いと考えている。仏教的、神道的、キリスト教的な死生観が、老活段階にどのようなポジティブな効果をもたらすのかという研究もあってよいのではないかと思うが、比較研究ともなれば難しい面もあるだろう。むしろ、心理学を離れて、実際に信仰をよりどころにして最期を迎えた方たちの個別的な記録から学んだほうがよいのかもしれない。