じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 備前富士(芥子山)山麓からの日の出。方位が北側に移動し、日曜日頃には「ダイヤモンド備前富士」現象が観られる見込み。右側は、横の幅を50%に圧縮した写真。ホンモノの富士山のように見えてくる。

 昨年の写真が2015年2月23日の日記にあり。

2016年02月18日(木)


【思ったこと】
160218(木)『嫌われる勇気』(79)100分de名著(7)対人関係の悩み

 昨日の続き。

 放送第3回では、「対人関係を転換する」というタイトルとなっていたが、大部分は「課題の分離」に関する内容であった。この話題については2015年8月5日の日記及びその続編で取り上げたことがあるので、ここでは重複は避けておきたい。

 3回目冒頭ではまず「人間の悩みはすべて“対人関係の悩み”である」というアドラーの言葉が言及された。死がどういうものであれ、愛する人との別れという意味では対人関係、孤独ですら他人がいてこその悩みである、というように行き着く先は対人関係であり、内面の悩みなんていうものはない、などと論じられていた。

 確かに、カウンセリングの相談内容では対人関係の悩みが圧倒的多数を占めているとは思う。しかし、すべての悩みが対人関係に起因しているとは考えにくい。例えば、うつ病、疼痛、ある種の強迫症、さらには自分自身の健康上の悩みのようなものは、孤島で独り暮らししていても生じるのではないかと思われる。あらゆる悩みは何かしら対人関係と連関していると言うことはできるだろうが、対人関係を転換しても解消しない悩み(対人関係に起因しない悩み)というのも少なくないように思う。

 番組では続いて、広場恐怖症の例が取り上げられた。広場恐怖症の人は、みんなから見られることを恐れているように思われるが、じつはみんなに注目されて世界の中心にいたいと思っている。また、そんな人の多くは幼い頃に甘やかされて育ち、他者から与えられることを当然だと思い、他者が自分に何をしてくれるのかということだけしか関心を示さない大人に成長する。ひとたびそうはいかない現実に直面すると、不機嫌になったり攻撃的になったりする、というような説明であった。

 広場恐怖症を目的論で説明するという点はある程度理解できたが、甘やかされて育ったことが広場恐怖につながるというあたりは、過去の経験が今の自分を作っているという点では原因論的な考えに依拠しているのではないかという疑問も浮かんできた。

 次回に続く。