じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 文学部中庭のホウキギ(コキア)。秋分の日を過ぎて次第に日が当たりにくくなっており、まもなく紅葉が始まるものと思われる。写真右下は、一足先に紅葉が始まった鉢植えの株。

2015年09月29日(火)


【思ったこと】
150929(火)100分 de 名著:ダーウィン『種の起源』(4)

 昨日の続き。

 放送第4回では『種の起源』が現代の健康、暮らし方、社会設計に与える影響について解説されていた。

 まずは、南太平洋に点在する島々でなぜ太り気味の人が多いのかという話題。かつて、これらの島々では周期的に飢餓が発生し、少ない食べ物から効率的にエネルギーを吸収できる特別な遺伝子「節約遺伝子」の持ち主が生き残ったというような仮説。但し、この遺伝子というのは特定されているわけではなく、またおそらく、たった1個ではなく、いろいろな遺伝子との関係によってもたらされていると考えられている。

 以前、これに関しては、元々別の場所から何日もかけて漂着したため、結果として漂流で生き残れるだけの体格、体力を持った人たちだけが生き残ったという説を聞いたことがあった。漂流時の生存力と、島での飢饉への耐性力のどちらが強く働いているのかは不明。但し、船でも島でも、人々は助け合って暮らしているだろうから、機械的な淘汰は起こりにくいようにも思える(特定の病気に対する耐性であれば自然に淘汰されやすいが、飢饉の場合は、弱者への支援がなされるはず)。

 2番目は、人間や昼行性のサルの仲間はなぜビタミンCを自分で合成できないのか?という話題。これは、進化の過程で、ある時ビタミンCを作る酵素の一部が壊れてしまったが、たまたま果物や葉っぱをたくさん食べて暮らしていたので何も不自由はなかったというように説明されていた。
 この例から示唆されるのは、進化のプロセスでは、新しい機能が備わる一方、偶発的な原因で、さまざまな機能が失われる可能性も同程度にあるという点だ。そのさい、その失われた機能が生存に致命的な不利益をもたらすことがあればその種は絶滅するが、生息環境においてたまたま不利益とならなければ、失われたままで適応していく。光の無い洞窟に住むイモリの目が退化してしまうのも、別段、使わないから退化したのではなく、たまたま目の機能が失われても適応上不利益が無かったためにそのまま生き残ったと考えるべきであろう。

 もう1つ、群れの中で地位の高いヒヒの子どもが悲鳴を上げて母親を呼び寄せて地位の低い個体から食べ物を奪い取るといった事例が紹介されていたが、これは、単純なオペラント強化の原理でも説明できるように思えた。悲鳴をあげて結果として餌を奪い取る行動も、実験箱でボタンを押して餌を獲得する行動も基本的には変わらない。但し、悲鳴をあげることが、レスポンデントではなくオペラントとして生起する必要はある。もちろん、鳴き声を道具的に利用するというのは、群れの中の個体間の交渉があって初めて意味をなすことは確かである。

 番組の終わりでは、系統樹の原案となったメモ書きの図が紹介されていた。『進化論』というと、競争原理や生存競争をすぐに思い浮かべるが、生物はみなつながっている、「生き物みんなきょうだい」でお互いに影響しあっているという点も、納得できる内容であった。