じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 岡山では7月29日以降、0.5ミリ以上の雨が降っておらず、灌水設備のない花壇では草花が枯れ始めている。稲妻が頻発した8月7日にも結局雨は降らなかった。

 写真は8月9日午後には、ふたたび巨大な積乱雲が空の半分を覆ったが、降水には至らなかった。

2015年08月9日(日)


【思ったこと】
150809(日)『嫌われる勇気』(29)個人心理学と全体論

 昨日の続き。今回から第四夜(第四章)に入る。この章の冒頭では、「個人心理学と全体論」という話題が取り上げられていた。要約引用すると以下のようになる。
  • アドラー心理学の正式名称は「個人心理学」と言われており、人を孤立へと導く個人主義の学問のように誤解を招きやすいところがあるが、ここでいう個人(individual)という言葉は、語源的には「分割できない」という意味である。【175頁】
  • アドラーは、精神と身体を分けて考えること、理性と感情を分けて考えること、意識と無意識を分けて考えることなど、あらゆる二元論的価値観に反対した。【175頁】
  • 心と身体、理性と感情、意識と無意識がそれぞれ違っているのは事実だが、それらを切り離して、「感情が私をそうさせた」というように一方を原因として解釈してしまうと人生の嘘につながる。【176頁】
  • 人間をこれ以上分割できない存在だととらえ、「全体としてのわたし」を考えることを「全体論」と呼ぶ。【177頁】

 ここで少々脱線するが、「分割できない」という議論は、「要素で構成されている」を否定するものなのか、それとも、要素は要素として存在するが相互に連携しており、要素それぞれの機能を分離して独立的に論じることはできないと考えるのかによっても中身が変わってくるように思う。

 ここでさらに脱線するが、Pepper(1942)の「世界仮説(World Hypotheses)」によると、世界観は、
  • 世界は「要素」で構成されているか
  • 世界を1つの「ストーリー」として語ることが可能か
という基準によって2×2の4通りに分類できるという。【原典は取り寄せ中につき、武藤(編)『アクセプタンス&コミットメント・セラピーの文脈−臨床行動分析におけるマインドフルな展開−』(ブレーン出版、2006年)の第1章からの孫引き】。それらは、Formism(形相主義)、Mechanism(機械主義)、Contextualism(文脈主義)、Organicism(有機体主義)と呼ばれるが、独立・固定された要素から構成されていることを否定するとなると、アドラー心理学は、有機体主義か文脈主義のいずれかに分類されることになる。

 Pepperはさらに、それぞれの世界仮説がルート・メタファーや真理基準にも違いをもたらすと論じている【こちらも、武藤編(2006)からの孫引き】。
  • 有機体主義
    • ルート・メタファー:生命を有し、成長する有機体
    • 真理基準:ある結論を導くような諸事実の首尾一貫性
  • 文脈主義
    • ルート・メタファー:文脈中に生じている進行中の行為
    • 真理基準:恣意的なゴールの達成

 このような枠組みでアドラー心理学を捉え直すと、ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)との類似性や違いが見えてくるのではないかと思われる。

 不定期ながら次回に続く。